銅無関禅師骨蔵器とは? わかりやすく解説

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銅無関禅師骨蔵器

主名称: 銅無関禅師骨蔵器
指定番号 298
枝番 01
指定年月日 1968.04.25(昭和43.04.25)
国宝重文区分 重要文化財
部門種別 考古資料
ト書 正応四年十二月十二日在
員数 1合
時代区分 鎌倉
年代 1291
検索年代
解説文:  大明国師(無関普門一二一二一二九一)は東福寺第三世、南禅寺開山として著名な禅僧である。像は東福寺塔頭【たつちゆう】、竜吟庵方丈安置され材の寄木造りで、玉眼嵌入し、彩色をほどこす(衣は江戸時代の補彩)。国師肖像としては、南禅寺二幅天授庵一幅寿像)の画像があっていずれも重要文化財指定されているが、彫像は、これがおそらく現存唯一の遺例であろう上瞼うわまぶた】を山形垂れ、耳を大きくつくる風貌など正しく上記画像一致するもので、ことに写実豊かに彫出する面相部の表現には生彩があり、躰部の肉付けも自然で、よく鎌倉後期特色示し、師の歿後さほど隔たらないころの造像おもわれる
 なお近年本像修理の際、像内から五輪塔、緑瑠璃壼、諸尊図像陀羅尼などの納入品が発見されているが、これらはいずれも師にゆかりの深い品々であるので、あわせて「附【つけたり】」として指定された。
 他方、無関禅師骨蔵器等は昭和三十六年竜吟庵庫裏北側から発見されたもので、禅家高僧骨蔵器に相ふさわしく何の飾り気もない簡素なもので、中世墓制を知る上に貴重な資料として注目をあびるいたった国師禅師)の墓(石造無縫塔)下の石室内に納置してあったもの。同墓は寛政三年五百遠忌際し境内某所から移築した記録があるので、前記骨蔵器発見促されて昭和三十六年七月塔下発掘調査した結果出土したのであるが、両者の関係は確実でなく、附の銅骨蔵器を師の骨壼とは速断しがたいしかしながら寛政以後禅師のものと信じられ、旧埋納地より持ちきたった永仁年銘経筒と共に石室内に納められたものと思われる
 このうち無関禅師骨蔵器鋳銅製被造りの丈の低い円筒状の骨蔵器で、には緩【ゆる】い甲盛りがあり、鈕はない。身の側面正応四年(一二九一)無関禅師霊骨云々鏤刻銘【るこくめい】がある。
 石櫃花崗岩製で、前記骨蔵器の外容器使われていた。も身もほぼ同じ大きさ箱形のもので、身には骨蔵器納める深い円形の孔を穿【うが】ち、印籠蓋様に作る
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