都市と領土とは? わかりやすく解説

都市と領土

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 14:31 UTC 版)

「周」の記事における「都市と領土」の解説

殷代から春秋時代にかけての華北は、邑と呼ばれる都市国家多数散在する時代であった殷代西周時代の邑は君主住まい宗廟等、邑の中核となる施設丘陵上に設けて周囲頑丈な城壁囲い、さらにその周囲一般居住区比較簡単な土壁囲うという構造のものであった戦時住民丘陵上の堅固な城壁囲まれ区画立てこもり防戦した。 東周時代には、外壁強化され内壁=城と、外壁=郭からなる二重構造、つまり、「内城外郭式」がとられるようになった華北城壁は、無尽蔵にある黄土を木のしっかりとつき固め堅い層を作りそれを重ねてゆく版築という工法によって築造されている。こうして作られ城壁は、極めて堅固な土壁となる。には弱いが、もともと華北雨量少ない上、磚と呼ばれる黄土焼成し作られ煉瓦城壁覆い防水加工を施すため、あまり水の浸食を受けることもない人為的破壊が無い限り城壁はかなり長い寿命維持することができる。 邑は、城壁囲まれ都市部と、その周辺耕作地からなる。そして、その外側には、未開発地帯が広がり狩猟・採集牧畜経済を営む非都市生活部族生活していた。彼らは「夷」などと呼ばれ、自らの生業産物をもって都市住民交易行ったがしばしば邑を襲撃し略奪行ったまた、同士でも農耕交易によって蓄積された富などを巡って武力用いた紛争が行われていた。こうした紛争などにより存続難しくなった小邑は、より大きな邑に政治的に従属するようになっていった。さらに春秋時代争乱は、中小の邑の淘汰併合をいっそう進めた大邑による小邑の併合や、鉄器普及による開発の進展農地都市人口大規模に拡大したために、大邑はその領域拡大して邑と邑の間に広がっていた非都市生活者の生活領域経済活動域を消滅させてゆく。また、軍事が邑の指導者層である都市貴族戦士担われ戦車戦から増大した農民人口によって担われ歩兵戦重点移行するとともにそれまで温存されていた大邑従属する小邑が自立性失って中央から役人派遣され統治を受ける「県」へと変えられていった。こうして、春秋末から戦国にかけて、華北政治形態は、都市国家群から領域国家群の併存へと発展していった。

※この「都市と領土」の解説は、「周」の解説の一部です。
「都市と領土」を含む「周」の記事については、「周」の概要を参照ください。

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