郊外生活のすすめ
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「阪神間モダニズム」の記事における「郊外生活のすすめ」の解説
阪急・阪神の両電鉄会社は、「健康に恵まれた郊外生活」、あるいは「市外居住のすすめ」というキャッチコピーを掲げ、住宅地開発を展開する。その開発戦略のキーワードは、「緑」、「郊外」、「健康」であった。両電鉄会社が謳った田園生活の要素の一つである「緑」とは、いうまでもなく六甲山の緑である。阪神間の西部に位置する六甲山は、標高932メートルの山で、地六甲山麓の南斜面を形成する台地は起伏に富み、北から南に向かって広がる雛壇型の台地は、住宅造成地に適していた。緑が深く、眺望に優れ、瀬戸内海に面した温暖な気候とともに、自然環境にも恵まれたこの地域は、住環境の要件を充分に満たしていたということがいえる。加えて、六甲山から流れ出る中小の河川は、阪神間における町の景観にさまざまな変化を与え、親水空間を創出している。阪急・阪神の沿線を流れる夙川、住吉川、芦屋川、武庫川は、緑豊かな六甲山系を背景に、美しい河川景観を形成し、人々に安らぎを与えてきた。しかし、沿線の田園地帯は美しい自然こそあれ、都心からは離れ、居住者もまだまばらで、決して認知度が高いとはいえなかった。そこで、電鉄各社は、田園生活の素晴しさをPRするため、数々の情報誌を発行する。 まず、阪神電鉄は、明治41年(1908年)、『市外居住のすすめ』を刊行した。この『市外居住のすすめ』の刊行後、大正3年(1914年)、月刊誌『郊外生活』(大正3年1月~大正4年11月)を発行している。これには、郊外生活の利点は勿論のこと、花の育て方や栽培など、今でいう、ガーデニング関連の記事を中心に、随筆や評論などが掲載された。 阪急電鉄は、明治42年(1909年)、住宅案内パンフレット『住宅御案内 如何なる土地を選ぶべきか・如何なる家屋に住むべきか』を発行、この冒頭で、「美しき水の都は夢と消えて、空暗き煙の都に住む不幸なる我が大阪市民諸君よ!」と呼びかけている。公害によって生活環境が悪化した大阪を離れ、田園での優雅で健康的な生活ができる郊外居住をアピールし、沿線の新興住宅地「池田新市街」の住宅案内を行ったのである。また、大正2年(1913年)には、月刊誌『山容水態』が発行された。これは、池田新市街、豊中新市街など、阪急電鉄が開発した住宅地の様子を詳しく紹介した住宅情報誌であると同時に、沿線の名所旧跡の紹介、イベント案内なども掲載され、現在のタウン情報誌としての役割も兼ね備えたものであった。また、阪神電鉄の『市外居住のすすめ』と同様、郊外生活への不安を解消して快適な生活が期待できるよう、飲料水や医療など、健康に関する記事も掲載された。 「健康な田園生活」をキャッチフレーズに展開された、これらの郊外住宅地開発は、国内で早い段階に進められたものであり、澄んだ空気と清らかな水に恵まれた良好な住環境を創出・維持することが「山容水態」の地-すなわち、阪神間のイメージアップに大きく貢献したといえる。また、阪神間における郊外住宅の形成が、その後、東京の田園調布等の高級住宅地開発にも少なからず影響を及ぼしたといわれる。
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