遺族からの訴え・提言
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「遺族からの訴え・提言」の解説
一方でAの母親は、そのような中でも自分たちと本当に打ち解けて話をすることができた報道関係者についても記し、特に「気を許せた二人のジャーナリスト」として、事件直後にしつこく質問せず、常に誠実に応対したり、その後も裁判の経緯を教えてくれたり、「間違った記事に対しては泣き寝入りせず、抗議したほうが良い」と助言してくれたりした全国紙の地方版担当記者や、控訴審判決直前に知り合い、熱心に取材に来た放送局の記者の2人を挙げ、報道各社に対しては「報道の方々へ……」と銘打った手記で、以下のように訴えている。 (平成4年の第13回忌法要を控え)事件当時、興味本位に虚偽の記事を書いた記者は責任を取るべきだ。取材する際には相手の気持ちになって、いたわりと同情の気持ちを持ち、誠実に応対してほしい。自分の場合は、一言慰めの言葉を言ってくれた記者に親しみを持つことができた。 (1992年に新聞社社会部へ宛てた手紙で)『読売新聞』に「日本新聞協会は、皇太子妃候補者選びに自主的に取材を申し入れた」という記事が出ていたが、皇族だけでなく、一般人である犯罪被害者の人権・プライバシーも尊重してほしい。自分は事件当時の心ない報道のせいで、今でも新聞に不信感を抱いている。富山県でこれだけ大きな事件はなかっただろうから、報道が過熱することは無理もないかもしれないが、「真実でない記事を読者に信じさせない」「被害者の辛い立場を十分理解して、無理な取材をしない」「自分の書いた記事に責任を持つこと。できればサインをする」を特にお願いしたい。 先述の報道被害や、犯罪被害者を支援する仕組みが欠如していた当時の状況などを踏まえ、Aの母親は諸澤英道(日本被害者学会理事・常磐大学学長)宛の手紙で、以下のように犯罪被害者の救済制度の確立を訴えていた。 被害者に裁判の経過(日時・内容や裁判官・検察官・弁護士の名前など)を知らせること、裁判の迅速化、被害者の心情を裁判に取り入れることなど 被害者が相談できる機関の設置 犯罪被害者同士のサークルの発足 Aの両親はその後、(1998年から5年ほど前に)ひき逃げ事件などの被害者遺族らで構成されている会に入会。母親は事件後、心の癒やしを求めて短歌を詠むようになったほか、「他の被害者を少しでも助けてあげたい」と考え、犯罪被害者を救済する制度の確立を求めたり、犯罪被害者の支援団体の会合などに参加したりした。 Aの両親は、富山事件について認否を二転三転させたMの死刑確定を受け、「判決は(死刑でも無期懲役でも)どうでもいいが、謝罪の言葉が欲しかった」(父親)「罪を認めてほしかった」(母親)とそれぞれコメントしている。
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