Mの死刑確定
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 11:59 UTC 版)
「富山・長野連続女性誘拐殺人事件」の記事における「Mの死刑確定」の解説
1998年9月4日、被告人Mは最高裁第二小法廷(河合伸一裁判長)で上告棄却の判決を言い渡された。これを受け、判決の訂正を申し立てたが、その申立も同年10月7日付の第二小法廷決定[事件番号:平成10年(み)第4号、平成10年(み)第5号]によって棄却され、同月9日付でMの死刑が確定した。 富山県内で発生した死刑確定事件は、本事件が戦後4件目で、戦後の日本で女性の死刑が確定した事例は、Mが7例目だった。また、永山判決(1983年7月8日:第二小法廷判決)以降に判決が確定した身代金目的誘拐殺人事件としては初めて、殺害された被害者が複数名にわたる事件でもあった。 犯行に用いられたフェアレディZは事件後、押収品として富山地裁の車庫に保管されていたが、Mの死刑確定後となる1999年(平成11年)初秋、19年ぶりに車庫から出され、元の持ち主である北野に押収品還付された。北野は同年、『FRIDAY』(講談社)の記者から取材を受けた際、このフェアレディZ(当時の走行距離:18,897 km)を売却し、その金を「困っている人に寄付」したい旨を明かしている。
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