道徳、美徳、罪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/17 05:20 UTC 版)
相手の悪意に悪意を返してはならない。あなたの心を悪意に染めないように、悪意には親切で報いなさい。あなたの敵を公正に扱いなさい。食べ物を与え、ビールを与えなさい。施しを求めるものには名誉と衣服を与えなさい。これによりあなたの神は喜び、シャマシュはそれに好意で答えてくれる。親切でありなさい。良い行いをしなさい。 スルプ(Šurpu)からのまじない。(Incantation from the Šurpu series.) 古代のペイガニズムは道徳よりも義務や儀式に焦点を当てることが多いが、メソポタミアの場合、今日まで残った祈りの詩や神話の中から数々の一般に受け入れられていた道徳を拾い集めることができる。メソポタミアでは人は神により造られたものとされ、神々は命の源であり、したがって神々は病気や健康、人の運命さえも左右する力を持つと信じられていた。子供は神からの贈り物と考えられていたことが個人の名前から窺い知ることができる。人は神々に仕えるものとして造られた。すなわち神は長(belu)で人は使用人或いは奴隷(ardu)であり、人は神を畏れる(puluhtu)者であり神に対して身を弁えるものと考えられていた。義務は宗教、儀式の主要な特性と考えられていた。場合によっては祈りの詩からは精神的に親密な関係が読み取れることもあり、または信仰する神から別の神へ乗り換えるちょっとした改宗のようなことが行われている様子も窺える。一般的に神々への信仰に対する対価は成功や長寿といった形で現れる。 一方で罪はヒツ(hitu、失敗)、アヌ(annuまたはarnu、反抗)、キラツ(qillatu、罪)という語で表現され、反抗に力点を置いて描写される。罪とは「自分本位に生きる(ina ramanisu)」ことを望む気持ちである、という文脈から語られることもある。罪とは神々の怒りを買う行為であると説明されることもある。罰は病気や不運を通してもたらされると考えられており、必然的に無意識の罪が語られ、人は知らずに罪を犯しうるものだという考え方が存在した。賛美歌には具体的な罪が登場することは稀である。この報いの考え方は個人にとどまらず国や歴史にも当てはめて考えられた。メソポタミアの文学からは戦争や自然災害が神からの罰として扱われている様子を、また王がこれらを判断の基準として使う様子を窺うことができる。 罪や美徳の捕らえかたに関してイスラム教やユダヤ、キリスト教との類似性が見られる一方で性に関してはかなり寛容な考え方を持っていた。ことバビロンでは自由な性の表現が文明によってもたらされる恩寵と捉えられており、同性愛、異性装、そして娼婦、男娼が受け入れられていた[要出典]。メソポタミアで広く信仰されたイナンナ/イシュタルには、荒々しく熱狂的な舞踏と血なまぐさい儀式を伴う、性的逸脱の祭祀が捧げられていた。ここで言う「性的逸脱」には、身体的なものと社会的なものとの両方を含む。「イナンナに禁じられているものは何もない」と考えられ、規範的な性の在り方を侵犯する表現を祭祀の中で、敢えて行うことによって、「人目を気にしている日常の世界から、忘我の境地・恍惚の世界へ」と至ることができると信じられていた。
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