逮捕と自供
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1963年3月に発生した「吉展ちゃん誘拐事件」で警察は犯人を取り逃がしており(2年後の1965年に犯人検挙)、次いで起きた狭山での誘拐犯人取り逃がしについて強い批判を受けた。死体が発見された4日には柏村信雄警察庁長官が辞表を提出し、引責辞任した(10日)。埼玉県警は165名からなる特別捜査本部を発足させるも捜査は難航。死体発見の同日、特捜本部はI養豚場の経営者に聞き込みをおこなったところ、同養豚場からスコップが紛失していることを聞かされたため、この経営者に盗難の被害届を書かせた。スコップの存在を知っていたのはI養豚場関係者に限られることや、I養豚場の番犬に慣れている者でなければスコップを盗み得ない状況にあったことから、警察はI養豚場関係者に的を絞り、特命捜査班を組織してI養豚場関係者に対する捜査を開始した。このとき捜査線上に浮かび上がったのは、以下の面々であった。 養豚場経営者のIK(当時27歳。被害者と顔見知りで、傷害の前科2犯あり)。血液型AB。2012年春に死去。 養豚場経営者の兄IT(当時33歳。刑務所で服役した過去あり)。1966年に轢死(後述)。 養豚場経営者の弟IY(当時19歳。強姦の前科あり)。警察によると血液型はO。港会(現・住吉会)組員。事件当時よく一緒に野球をしていたという被害者宅近隣住民は、IYの人となりを「小柄なのに凶暴そのもの、怒ると何をしでかすか分からないような人間」と述べる。2005年病死。 養豚場の入口脇に住む大工で1960年6月に強姦未遂・恐喝・窃盗などで検挙されていたTI。村の消息通は「不良っ子のうちでNさん(被害者)の家の様子をよく知ってるものといえば、T君ぐらいなもんですよ」という。弟のTFは被害者の中学3年当時の同級生で、のち権現橋で首吊り自殺を遂げた。 被差別部落出身で養豚場元従業員のTA(当時20歳。血液型O)。港会(現・住吉会)組員。調理師免許あり。2015年12月の段階で存命中。 石川一雄の兄の友人のK三兄弟。 石川一雄の兄に地下足袋を借りていた男性。 10年前に恐喝の前歴があり、国産乗用車を持っている堀兼の電器店主M(当時29歳)。 刑務所に服役していたことがある入曽在住の農業の男性K(当時31歳)。被害者の父親と顔見知りであった。 検挙歴のある少年。 無職の男性(当時34歳) このほか、同養豚場の経営者家族や従業員たち27人中21名の血液型を検査したところ、B型は石川ただ1人であった。さらに、その27人中14人の筆跡を鑑定したところ、石川の筆跡が脅迫状と一致するという結果が出た。石川一雄と同姓で元同僚のIT(当時21歳、1998年病死)も血液型B型だったと伊吹隼人は述べているが、公判ではそのように認定されていない。 時の国家公安委員長・篠田弘作は「こんな悪質な犯人は、なんとしても必ず生きたまま捕らえる」と発表した。11日午後5時ごろ、I養豚場から盗まれたスコップが狭山市大字入間川字東里の小麦畑で発見された。このスコップは一見して農作業や土木工事に使われていたスコップではないことが明瞭であり、木部に食用の油が付着していたため、捜査当局はI養豚場の養豚用スコップと判断した。そこでスコップに付いていた土を調べたところ、遺体を埋めた地点の土と同じものという鑑定結果が出たことから、遺体を埋めたときに使ったスコップと認定された。
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