逮捕と死刑執行
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/30 15:48 UTC 版)
「大米龍雲連続殺人事件」の記事における「逮捕と死刑執行」の解説
大米は、1915年8月8日に福岡市の博多駅で逮捕された。この時、前述の「内妻」とともに九州へ高飛びしたという情報により警官が張り込んでいたため、チッキ(鉄道小荷物)を受け取って荷車に積んでいる大米を、激しい抵抗を受けながらも取り押さえた。 1916年5月22日に東京地方裁判所で死刑が言い渡されたが、大米は裁判官に対し「面倒くせえから、さっぱりやってもらいやしょうぜ。なあに死刑のほうがさっぱりしてようがさあ」といったという。 6月26日に東京監獄(現在の新宿区富久町に所在)で死刑が執行された。当時の看守によれば、供物の饅頭とお茶を平らげ、さらには煙草を吸わせろと要求し、煙草を吸わせてもらったという。そのうえで「永えこと吸わねえもんだから、畜生ッ、頭がクラクラしやがらア。さあ。やって貰はうか」と堂々とした態度であったという。なお、大米最期の言葉は、看守が死刑囚の目隠しをしようとした際に「止せやいッ。クタばっちまえばどうせ何も見えねえんだ」であったという。
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