逮捕と法的措置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 06:19 UTC 版)
WSGAグループはシャイアンに連れて行かれ、D.A.ラッセル砦の兵舎に監禁された。ララミー郡刑務所は、それほど多くの囚人を収容することができなかったからである。彼らは優遇措置を受け、夜寝るために刑務所に戻ることに同意する限り、日中は基地を歩き回ることが許された。ジョンソン郡当局は、グループがマッキニー砦に監禁されていなかったことに腹を立てた。第6騎兵隊の担当将軍は、囚人がその地域に留まるには緊張が高すぎると感じた。紛争の両者に同情する何百人もの武装した地元住民が砦に行ったと言われている。マッキニー砦は、次の数日間、侵略者がそこに拘束されていたという誤った印象を受けた。 ジョンソン郡側の検事は審理のための証拠と WSGA の計画についての詳細な情報を集め始めた。カントンの鞄が発見され、その中には、彼等が牛泥棒とみなし銃殺もしくは縛り首の対象とした17名が記載されたリストや、侵略者が放火した牧場主の家のリスト、さらには、5ドルの日当と牛泥棒の殺害一人当たり50ドルの報酬を定めた契約書が入っていた。後の報道によれば、侵略者の計画には、結果的にはキャスパーやダルガスなどの遠方にいた人々の殺害も含まれていた。「タイムズ」紙は4月23日に、「それら証拠には、これまで名前の挙がっていなかった、シャイアンの著名な畜産家20名以上、オマハの裕福な畜産家数名、さらにはワイオミング州の有力者もが含まれているという。彼らは全員、侵略行為を援助しまた教唆した罪で起訴され、また逮捕状が発行されるだろう」と報じている。 しかしながら侵略者は彼らにとって有利であった司法制度に護られ、また有力牧場主らによる不正工作を活用した。ワイオミングにおいて「権威」とみなされた人々は起訴を逃れた。結果として侵略者は保釈され、審理へ向けてワイオミングに戻された。その多くはテキサスへと逃げ、戻ってくることはなかった。最終的に、ジョンソン郡は告発のための費用を払うことを拒絶したという理由によって起訴は取り下げられ、WSGAグループは釈放された。D.A. ラッセル砦に彼らを収容するコストは1万8千ドルを超え、人口の少ないジョンソン郡にはそれを払えるものではなかった。
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