犯人検挙
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事件発生から2年が経過した1948年11月になって迷宮入りした金比羅丸事件の再捜査が大規模に展開された。そうしているうちに1949年1月になって「大阪市在住の甲が主犯で、共犯は乙と丙である」という投書が捜査本部にあった。そこで大阪にいる甲の身辺調査をしたところ三人にかつて雇用関係があり甲は拳銃二丁持っていた事が判明した。4月に3人を検挙し、事件は解決した。
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犯人検挙
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/30 21:50 UTC 版)
捜査が進む中、現場近くの旅館に2月13 – 19日と23 – 26日に宿泊していた、小倉市(現・北九州市小倉北区)鳥町三丁目の洋服商(26歳)と名乗る男が浮上した。身元を捜査したところ、鳥町に該当する人物はおらず、偽名による宿泊が明らかとなった。さらに、警部は遺留品のハバキに新しい研磨痕を見つけ、市内の研ぎ屋を捜査したところ、事件の前日に30歳前後の男が依頼していたことも明らかになった。 捜査を進めたところ、新柳町の遊郭に洋服商の馴染みの妓娼がいることが判明し、彼が事件翌日に遊郭を訪れ、右手に包帯を巻いて金の腕時計をしており、しばらく遠出すると述べていたことが明らかになった。やがて、妓娼に男から手紙が届き、津屋崎町(現・福津市)に滞在していることが判明。直ちに刑事が津屋崎に派遣されたが、男は既に宿泊した旅館から旅立っており、腕時計も質屋に売られた後だった。さらに、男が腕時計をして写っている写真が写真店の店先に飾られており、刑事たちを呆れさせた。 しかしこの写真から、男の正体は佐賀県兵庫村(現・佐賀市兵庫)の菓子職人で、窃盗の前科を持つ田中徳一(事件当時26歳)と判明した。菓子店を捜査していたところ、田中が3月19日から小倉市鳥町一丁目のパン店で職人として住み込みで働いていることが分かり、4月7日に刑事が小倉市に派遣された。小倉警察署(現・小倉北警察署)の応援を受けてパン店に向かった刑事たちは、日付が変わった4月8日0時15分、映画見物から帰った田中を検挙した。
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