犯人暦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/04 22:28 UTC 版)
犯人は聾啞者(耳が不自由な)の青年であった中村誠策(なかむら せいさく、最後の犯行当時満18歳)であった。青年は兄弟7人の6男で、生まれつきの聾啞者で家族から冷たくあつかわれていた。簡単な言葉しか発音できなかったものの知能は高く、聾啞学校では首席であった。しかし、他人に対する思いやりなど基本的な人間性が欠如しており、青年を誰よりもいたわっていた長兄を殺害するなど、肉親に対する情愛も欠如していた。また、この9人の連続殺人の他にも1938年(昭和13年)8月22日に2人の女性を刺殺したことを自供している。(この2人を含めると犠牲者は11名となり、1941年の被害者は3人目の犠牲者となる) 青年を精神鑑定した内村祐之と吉益脩夫によれば、生来的に人間的感情や情性に欠ける精神病質性の人格、それに加えて不完全な教育を受けたために抽象的・精神的なものが育たなかったためとし、青年を心身耗弱者とする鑑定書を出した。 青年は、戦時下に行われた犯罪について厳罰を課す戦時刑事特別法によって審理された。公判には多くの地域住民が詰めかけ、極刑を望んだ。静岡地裁浜松支部は被告人を聾啞者ではなく難聴者と認定し、聾啞者の刑を減免する刑法旧第40条を適用せず、死刑判決を下し、まもなく死刑が執行された。 処刑日については明確ではないが、静岡県警察史は「1944年7月24日、21歳を最期に刑場の露と消えた」と書いているが、地元静岡新聞にも記事は見られない。 なお、逮捕直後に実父である中村文貞が天竜川に投身自殺している(厳密には11月11日に入水自殺した)。
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