造園という言葉
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造園という用語については、明治以降、欧米から入ってきたLandscape Architectureの和訳として適用された言葉とされているが、これは1919年に原煕が東京帝国大学で行なった講義においてである。今日では従来の庭園や作庭という意味も含めつつ、より広範囲の観念をもたせたものとなった。「造園」の文字は出版書物としては明治26年に小沢圭次郎の著作『公園論』に登場するのが最初であるが、「建築」などの言葉も含め、これらは中国明時代の庭園書『園冶』:yuan yeh にすでにみられる。元来明初、いまより600年前の陶宗儀(字は九成)の<曹氏園地行> の詩の中にあることを陳植が『造園・園林正名論』(北九州工業高等専門学校研究報告、日高一宇訳註,1995年1月30日、第28号別刷)で発表している。 その意味は現代の広義のランドスケープの理解に似て、広い対象空間に用いられている。1901(明治34)年には福羽逸人の講義録に「造苑」の文字が登場し、1911(明治44)年には森鷗外が、画家出身の作庭家本多錦吉郎の著述物の序文に造園の文字を使用している。なお、上原敬二は著書の中で、「造園」の語は主に庭の関係ある者が「庭園」の代用語として日常用いていたと記している。明治初期東京に農業試験場は2箇所に存在し、その1つは新宿御苑の試験場で、もうひとつ開拓使の試験場が現在の青山学院大学のところに存在したが『東京市史稿』ではこれらを遊園篇に掲載し、伊藤ていじは開拓使が「農園」を造る意味で用いていたとしている。 言葉自体は明治時代にはすでに一般化していた言葉であり、いままで多くの人々によって様々な定義がなされている。「造園」という言葉の定義として、1917年田村剛は、“造園術とは、土地を美しく取り扱う術であり、または自然を享楽せしめる施設とはいえ、同時に他の実用・経済・衛生・保安・教化等の目的を伴ってもあえてさしつかえない"としている。また、1924年上原敬二は、造園学の定義として、“造園学とは、人間生活の上に使用、享楽のため種々の程度において美観と同時に利用の目的を達するよう土地を意匠設計する理論を考究する学術である"としている。さらに、1949年永見健一は、造園を定義して、「造園とは一定の上地の上において、その地形とその上にあるものおよび他から持ち込んだ植物その他色々の材料を組み合せて、これから創造された、または修飾加工して造成せられた一つのまとまった構成であって、それらを一次的目的として人の慰楽・休養・保健・鑑賞等の場たることを期し、第二次的目的として、保安・知育等の助長を図ることを原則とするが、政策的にはこれから経済収益を挙げることを目的とすることを妨げない」としている。 また、「造園」という言葉の英訳"Landscape Architecture"の定義もまた様々であり、1873年アメリカ合衆国のクリーブランド(H.W. Creveland、1814〜1900〉は、"Landscape Archltecture"(造園)を「文明進歩の各種の要求に対して、最も便利に、最も経済的に.そして最も優美にするように.ヒ地を編成する技術である」としている。また、アメリカ造園家協会(ASLA: American Society of Landscape Architects)の定義によると「美学的並びに科学的な理論を活用して、人間の物的環境を改善することである」となっている。
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