車体説明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/06 04:45 UTC 版)
一般に「海軍十二糎自走砲」と呼ばれるが、「短十二糎自走砲」に対し、「長十二糎自走砲」と呼ばれることもある。他に、「海軍長12cm自走砲」や「海軍12cm自走砲(長)」などと表記されることもある。便宜的な呼称なので正式な名称は不明である。乗員は単に自走砲と呼んだ。車体はくすんだ緑で塗装され、十二糎砲も同様に緑で塗装された。ナンバー、陸戦隊所属の錨の記号などは全くない。 本車の用途は対戦車戦闘であった。主砲には、沿岸砲として実績のある四五口径十年式十二糎高角砲を車載用に砲架などを改造して用い、これを九七式中戦車 チハの、砲塔と車体上部を取り払った車台に搭載した。砲は全周射撃が可能であった。プラットフォームとしてはチハ車台は小型軽量で車幅が狭いので、前後方向は良いとしても、車台に対し横向きに撃った場合、非常に不安定であった筈である。戦闘時に車台を地面に埋めて固定すれば、この問題は解消されると思われる。ただし、想定された運用(下記)からして実際に車体を埋めて砲撃するとされていたかは疑問である。 本車に車載機銃は装備されていなかった。車体前方機銃は撤去され、視察用のスリットが設けられた鋼板で塞がれた。また本車に無線装備は無かった。 砲の上下射角は最大仰角は20度(乗員の証言では30度程度まで可能)、最大俯角は10度と狭かったが、直接射撃による対戦車戦闘が用途であった。自走砲の指揮官の証言によれば、本車は隠蔽された場所から一発撃った後に陣地変換し、また隠れて射撃するという運用が想定されていた。防御戦闘をするのが目的であれば射界に問題は無いとおもわれる。つまり本車は対空射撃や間接射撃をすることを目的とした車輌ではない。 残された不鮮明な画像では、砲の周囲には戦闘室を構成する装甲板などは見当たらず、砲と砲架が車体上面に露出している。 砲の正面下方(砲架と足下の防御用)と駐退機の左右(乗員防御用)に、申し訳程度の装甲板があるようだが、前方の狭い範囲のみをカバーしており、小口径の小銃弾・機関銃弾対策や、ブラスト・シールドの類だと考えられる。 また元のチハ車体のままでは上面があまりにも狭いので、操砲要員の作業の足場を確保するために車台上面を板を張って拡げていた可能性がある(画像でもそのように見えないこともない)。 チハは構造材に自動車鋼を用いており、本車は仮にチハ車台が補強されていない場合、過大な砲の重量(原型砲は8~10 t前後)と射撃衝力に脆弱な鋲接車台が耐えられず各部に不具合が発生した可能性があった。サスペンションにも相当の負荷が掛かっていた。これは砲が車体中心から右に偏って搭載され、偏った荷重のために右側の懸架装置のバネがよく折れた。また車体も右に傾いでいた。 また全備重量(推定20 t超)の増加により、元搭乗員の証言によれば、最高速度は25km/h程度と、チハの38km/hから減少した。この減少幅から、エンジンはチハの170馬力のままであったと推測される。燃料に粗悪な3号軽油を使用していたため、走行中にエンジン停止が頻発した。 弾薬は車台が小さく自前で積載する余裕が無かった。砲弾を車内に搭載できず、リヤカーを用意した。鎌倉市内の走行試験で、砲を民家の塀にあてて壊したという証言がある。
※この「車体説明」の解説は、「海軍十二糎自走砲」の解説の一部です。
「車体説明」を含む「海軍十二糎自走砲」の記事については、「海軍十二糎自走砲」の概要を参照ください。
- 車体説明のページへのリンク