車両ハシケ建造の経緯とは? わかりやすく解説

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車両ハシケ建造の経緯

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/01 17:33 UTC 版)

車運丸」の記事における「車両ハシケ建造の経緯」の解説

1905年明治38年8月1日北海道鉄道小樽 -南小樽開通をもって北海道内鉄道函館から小樽札幌経由して名寄までつながり函館北海道の鉄道玄関口となった1906年明治39年3月30日公布鉄道国有法のもと、同年10月1日には北海道炭礦鉄道が、翌1907年明治40年7月1日には北海道鉄道国有化され本州側では、上野-青森間を含む多く線区経営していた日本鉄道1906年明治39年11月1日国有化された。その日鉄道による直営青函連絡船航路開設のための2隻の海峡渡船 比羅夫丸田村丸建造事業同日逓信省鉄道作業局継承され1908年明治41年3月7日には国営帝国鉄道庁青函連絡船航路として開設された。これにより、本州の北の玄関口青森から北海道玄関口函館に至る青函航路両岸鉄道経営統合され、以後北海道内開拓進展鉄道網拡充により、同航路の客貨輸送量急激に増加し、たちまち上記2隻では運びきれなくなり鉄道院1910年明治43年1月25日うめが香丸傭船嚆矢に、多数一般型船舶傭船してこれに対応したこの道鉄道網拡充は、そこで使用される機関車客車貨車需要増をもたらしたが、その多くは、本州新造、あるいは本州からの転属調達されており、全て一般海運運ばれ船積み前の解体荷造り陸揚げ後の再組立て試運転等で多く経費日数費やしていた。しかし、当時青函連絡船全て一般型船舶運航され青森・函館両港共貨物全てハシケ荷役で、鉄道車両そのまま運ぶ車両航送行われていなかった。 同時期の1911年明治44年10月1日、一民間業者である宮本組発案により、木造貨車ハシケ用いた日本初貨車航送航路が、関門航路貨物航路として下関小森江間に開設された。この航路関森航路呼ばれ鉄道院からの請負宮本組運航したが、その有用性確実性目の当たりにした鉄道院は、北海道向け新造転属車両海上輸送時の車両解体・再組立等の不便を、このハシケによる車両航送導入解消できる考え函館船渠建造発注したのが車運丸であった。しかし外海面した津軽海峡航行するには高い堪航性能求められるため、鋼製大型車両ハシケとなり、1914年大正3年12月10日就航した

※この「車両ハシケ建造の経緯」の解説は、「車運丸」の解説の一部です。
「車両ハシケ建造の経緯」を含む「車運丸」の記事については、「車運丸」の概要を参照ください。

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