講武館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 04:15 UTC 版)
清木 清左衛門(きよき せいざえもん) 江戸幕府御目付役。講武館の師範。 年齢28歳、身長約六尺(180cm)。達観した雰囲気を持ちながらも、武家に生まれた者は町民・農民の手本になるべきと考え、それに恥ずべき行動をした者を斬り捨てる行為を"巡回"と称し行うなど、非常に偏った武士道を持っている。規則には厳しく、角を直角に曲がらなかっただけで刀を突き付けるほど。伍助の志乃への思いを聞き、彼自身に対しては「まだ若さゆえに思慮が浅いが、道場は成長するであろう」と言い残し、講武館に戻って、うさぎ道場に危険度"十"を示す黒旗を立て、道場が成長して初めて叩くことを門弟たちに知らしめる。若い頃は伍助と似たような思いを抱いていたらしい。 うさぎ道場が講武館に勝ち、時代が明治へと変わったときには甲斐に移り住んでおり、マサツネという子供をもうけている。マサツネは自らの屋号を白狐屋としており、甲斐から江戸に出てきた際にはミツキの隣に引っ越してきて、江戸随一の仕立て屋になると言っている。 松山 桐之進(まつやま きりのしん) 江戸幕府の書院番士。講武館の師範代。志乃の元夫。 年齢19歳、身長約五尺七寸(172cm)。知行800石で将来を有望視されているが、相手の頭を軽くはたいたりし、遊里で金をたくさんばら撒くなど、陽気で気取らない性格を装っている。しかし、それはあくまでもポーズだけで、性根は歪んだプライドの塊であり、尊厳を傷つけた相手を容赦なく斬り殺すなど、極めて残忍な人物。本質的には自分を良く見せる為に他人を出汁に使う卑劣漢で、かつて志乃を娶ったのも周囲に対する見栄に過ぎなかった。 冷たい結婚生活に耐えかねて逃げ出した志乃が再び結婚したという事を知り、接触を図ってくる。その後、道場に乗り込んできた伍助と相対し、不意打ちで傷を負わせたものの一撃で倒される。そしてのびていた所を門弟らに発見され、切腹を迫られるものの、門弟らを切り殺して逃走し、人相書きとなった。 乾(いぬい) 講武館の門弟。 長髪の男で、清木の考えに心から賛同している。かつて流人たちを捕える際に穂波らと共に戦いに赴いている。身分の低いものは徹底的に軽蔑しているが、戦闘においては物陰に隠れているだけの卑怯者。 白髪の門弟 名前は不明。講武館の門弟の一人 乾ともに清木の近くにいることが多い。乾同様清木の考えに賛同しているが、乾のあまりの崇拝ぶりにあきれていることが多い。 菅谷(すがや) 講武館の門弟。 額に大きなバツ印の傷がある。最初は素行が悪いと見なされた武士を、泣きながら斬っていたが、その後次々と武士達を斬り捨てていくうちに性格が変わり、清木に認めてもらうために少しでも素行が悪いと見なした者は容赦なく斬り捨てるという残忍な性格になった。清木からは有望視されている。 道場主の素行吟味のために伍助のところを訪ね、伍助本人には特に問題がなかったため、来客を知らなかった志乃を見つけ、清木のために斬りたいがあまり、その態度を「無礼だ」と決めつけ、斬りかかろうとしたところ、伍助に「無礼はそちらである」と止められたところ激昂。満身創痍の伍助を追い詰めたが、伍助に一瞬のすきを突かれ殴り飛ばされた。その後、駆け付けた清木たちに気絶したまま戻されたが、最終話で登場しているため切腹せずに済んだ模様。 直助(なおすけ)、伴四郎(はんしろう) 講武館の門弟。 伍助が買い食いしているところに「武士のすることではない」と、言い斬りかかろうとしたところ返り討ちにあう。その後、自ら切腹。
※この「講武館」の解説は、「サムライうさぎ」の解説の一部です。
「講武館」を含む「サムライうさぎ」の記事については、「サムライうさぎ」の概要を参照ください。
講武館
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/27 04:15 UTC 版)
※この「講武館」の解説は、「サムライうさぎ」の解説の一部です。
「講武館」を含む「サムライうさぎ」の記事については、「サムライうさぎ」の概要を参照ください。
- 講武館のページへのリンク