論争と国連諮問資格剥奪
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/02 14:00 UTC 版)
「国際レズビアン・ゲイ協会」の記事における「論争と国連諮問資格剥奪」の解説
1993年の夏、ILGAは国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)の諮問資格を、世界3000の団体が集まった非政府組織として獲得した。しかしながらジェシー・ヘルムズ (Jesse Helms) が先導していた、NAMBLA(米国少年愛者団体)のILGA加盟キャンペーンの後、この資格は1994年に保留となった。 この処置を受け、1994年始めにILGAは214の賛成票(うち反対票30)を持って、NAMBLAと他の2団体 (MARTIJN と Project Truth)を、「ペドフィリア(幼児性愛)を支持あるいは推進することを主な目的とした団体」と判断されるとして、除名処分にした。1994年10月に、ILGAの幹部委員会はドイツのミュンヘンで活動するVSG (Association for Sexual Equality)のILGAメンバーシップを保留とした。それは、VSGがNAMBLAとの連帯を口頭で表明しており、ペドフィリア支持者をVSGから脱退させる要求に従わなかったためである。VSGのメンバーシップは、次期(1995年6月)のILGA会議において、ILGAの規約に沿って対応(すなわち除名)が決定されるまで、保留とされた。VSGはILGAから1995年4月に脱退し、1998年には組織そのものが消滅した。 ILGAは諮問資格を回復するために2000年に申請を行ったが 、2002年4月30日に国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)は29票対17票で、この申請をしりぞけた。この決定は、「ILGAのメンバー団体または附属団体が、ペドフィリアを推進または許容したことにたいする懸念による」とされた。 この懸念の要因となったのは、ILGAが同性愛を犯罪とする国々に住むメンバーの安全を確保するために、加盟している団体のリストを発行しておらず、そのためにNAMBLAとILGAの関係が表面的にだけではなく、実際に断たれたのか検証することが可能かどうか、ということであった。 2003年5月3日、国際連合経済社会理事会 (ECOSOC)は再び決議を取り、ILGAに対して諮問資格を与えないことを決定した。これを受けて他のLGBT権利団体とともに、ILGAは再度申請を行ったが、2006年1月23日にNGO委員会において、拒否された。 ILGAは、LGBT権利団体の申請が退けられるのは、エジプトとイスラム諸国会議機構 (OIC)が圧力をかけているから、との見方を持っている。 ILGAの国際連合経済社会理事会への申請に対し、反対票を投じた国は、ILGAのHIV/AID感染者への差別をまとめた年度報告書において、最も批判を受けていた10か国(カメルーン、中国、キューバ、イラン、パキスタン、ロシア連邦、セネガル、スーダン、アメリカ合衆国、ジンバブエ)であった。 ILGAを支持した国家としては、チリ、フランス、ドイツ、ペルー、ルーマニアがあげられる。 コロンビア、インド、トルコは棄権 コートジボワール代表は欠席 しかしながら、続いて行われた、ILGA-Europeの申請に対する投票においては、アメリカ合衆国は立場を変え、賛成にまわった。しかしながら申請は拒否された。 9か国 (カメルーン、中国、コートジボワール、イラン、パキスタン、ロシア連邦、セネガル、スーダン、ジンバブエ)が反対 7か国 (チリ、コロンビア、フランス、ドイツ、ペルー、ルーマニア、アメリカ合衆国)が支持 2か国棄権 (インドとトルコ)
※この「論争と国連諮問資格剥奪」の解説は、「国際レズビアン・ゲイ協会」の解説の一部です。
「論争と国連諮問資格剥奪」を含む「国際レズビアン・ゲイ協会」の記事については、「国際レズビアン・ゲイ協会」の概要を参照ください。
- 論争と国連諮問資格剥奪のページへのリンク