論争と分裂
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/21 05:55 UTC 版)
「第四インターナショナル」の記事における「論争と分裂」の解説
第四インターナショナルの政治的特徴として「プロレタリア革命による帝国主義の打倒」とともに「ソ連邦は、官僚を追放する政治革命は必要ではあるが、依然としてブルジョワジーによる生産手段の所有を廃した労働者国家であることから帝国主義の包囲・攻撃からは世界の労働者階級はソ連邦を防衛しなければならない」(「官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論)という原則が挙げられる。第四インターナショナルは、様々な局面でこの「原則」をめぐって、あるいは各国に存在する社会民主主義政党や共産党などの大組織に組織的・目的意識的に加入して大組織構成員を自陣営に獲得する「加入戦術」の是非などをめぐって、分裂を繰り返すことになる。 1939年に、スターリンによる独ソ不可侵条約締結とバルト三国への侵攻をめぐって、アメリカ支部である社会主義労働者党(SWP)内部で、トロツキーが定式化した「ソ連=官僚によって歪められ、堕落した労働者国家」論を否定する部分が発生する。「ソ連=官僚主義集産国家」論を唱えたマックス・シャハトマンやジェームズ・バーナムらは1940年にSWPから分裂してアメリカ労働者党(WP)を結成する。WPは直後に「シャーマン派」という分派と再分裂する。ちなみに「ネオコンのルーツはトロツキズム」として例に挙げられるネオコンの総帥でイデオローグと言われるアーヴィング・クリストルが一時期所属したのは、この「シャーマン派」である。 1940年8月にはトロツキーが暗殺され、運動は衰退の一途を辿った。 1953年に第四インターナショナルは、国際書記局の指導者ミシェル・パブロによる加入戦術などの運動方針(パブロ主義)に反対するアメリカ、イギリス、フランスなどが離脱して第四インターナショナル国際委員会(ICFI, IC)(キャノン派)を結成して、第四インターナショナル国際書記局(ISFI, IS)(パブロ派)とに分裂した。両派は10年後の1963年に再統一して第四インターナショナル統一書記局(USFI, US)(マンデル派)となった。 また1952年にフランス支部:国際主義共産党(ICP)内において、主流派によって提起された「加入戦術」に反対するランベール派が脱退し、国際組織として国際共産主義組織(OCI)を形成する。後にフランスの首相となるリオネル・ジョスパンが一時期所属したのはこのランベール派で、現在のフランス労働党である。 1983年、アメリカSWP内部でジャック・バーンズらキューバ共産党およびサンディニスタ民族解放戦線を強く支持するグループが主導権を掌握し、SWPは統一書記局派を離脱した。統一書記局派は1959年のキューバ革命以来一貫してキューバを支持しつつ、ソ連への接近やプラハの春に対するソ連の介入への支持には反対していた。現在、SWPを離党した党員が結成した社会主義行動(SA)や第四インターナショナル執行委員会が統一書記局のアメリカにおけるシンパ組織として活動している。
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