論争と再評価
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/04 04:25 UTC 版)
2010年10月にオンライン上の Nature Newsで、査読はされていないもののラプトレックスの出所と分類について異議が唱えられた。私立の化石調査・発掘会社であるブラックヒルズ地質学研究所所長のピーター・ラーソンが化石を検査し、ラプトレックスをタルボサウルスの幼体と結論付けるとして Nature で発表した。詳細な産出場所の情報もなしに収集家が標本を寄付したため、化石の傍で発見されたリコプテラの脊椎と軟体動物の殻のみに基づいた時代推定をラーソンは疑ったのである。ラーソンは化石がタルボサウルスの出土するモンゴルの7000万年前の層から出土したと推測し、「化石に付着した1粒の花粉の年代測定も含めた、化石塊のより詳細な分析」を彼は提案した。セレノはラーソンの結論を支持したとその報告書に引用されたが、それを否定する明確な証拠および発表はない。 2011年6月、より詳細な再度の研究がデンバー・フォウラーとピーター・ラーソンらにより査読付きの PLOS ONE で発表された。ここでは、層序学的位置が曖昧であり、個体発生の解釈も標本の成熟度を過大評価しているとして、公表済みのデータ(すなわちセレノの論文)が再分析された。ラプトレックスの椎骨はほぼ癒合しており、標本の骨組織学から6歳の亜成体であることが示唆されているとしてセレノは主張したが、セレノらが成長段階のデータを誤って解釈したとフォウラーらが主張し、実際に標本は約3歳の幼体であることが判明した。また彼らは、セレノらの年代推定における失敗も発見した。セレノらが言及せずにリコプテラとして同定した魚類の骨は、リコプテラの既知の標本と比較して実際には形状が大きく異なり遥かに大型でもあるとして、リコプテラと同じ目にさえ分類できないとフォウラーらは指摘した。さらに、魚類の骨が Ellimmichthyiformes に分類されると推測し、この目の生息した時代は白亜紀全域にわたるため示準化石にはなり得ないととした。この情報を踏まえて、化石が白亜紀前期のものであると信じる理由がないこと、そしてティラノサウルス科の幼体と酷似していることから、化石の時代は白亜紀後期である可能性が高いとした。この分析に基づいてフォウラーらは、ティラノサウルス科の詳細な成長パターンの情報がないため正確な属までは同定できないものの、ラプトレックスがタルボサウルスに近縁なティラノサウルス科の幼体を代表する可能性が高いと結論付けた。この結果、ティラノサウルス科の派生した特徴は白亜紀前期に進化したとするセレノの仮説は、現在の証拠からは支持されていない。 2013年にラプトレックス・クリエグスティニの模式標本の傍で発見された魚類の脊椎をニューブレイらはヒオドン科に属するとして同定し、白亜紀後期のモンゴルのネメグト層から出土し記載されたヒオドン科の化石と同じ分類群を代表する可能性があるとした。ニューブレイらによると、ヒオドン科の脊柱はネメグト層の外では発見されておらず、これはラプトレックス・クリエグスティニの模式標本の傍で発見された椎骨、ならびに模式標本自体が、白亜紀後期のネメグト層に由来することを示唆している。
※この「論争と再評価」の解説は、「ラプトレックス」の解説の一部です。
「論争と再評価」を含む「ラプトレックス」の記事については、「ラプトレックス」の概要を参照ください。
- 論争と再評価のページへのリンク