虎杖小学校での実践とは? わかりやすく解説

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虎杖小学校での実践

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/01 14:46 UTC 版)

池井保」の記事における「虎杖小学校での実践」の解説

1967年昭和42年)、京都府竹野郡丹後町立虎杖小学校赴任した虎杖小学校は、わずか十余年のうちに校区5つ集落のうち4集落離村廃村となった丹後半島中でもとりわけ山深いへき地にあり、当時虎杖小学校児童数全校生徒38人、教員5名であった池井2年生5人と3年生3人の複式学級担任となり、この時2年生だった生徒卒業する1972年昭和48年3月まで勤務した虎杖小学校では、郷土現実見据え過疎問題直視したフィールドワーク実践した等高線について学ぶ授業には、実際に等高線30m地点生徒の家から等高線200メートル地点300メートル地点400メートル地点に住む生徒の家まで歩き、どこの田が良いかを中心に話し合ったりと、現地調査をする中で等高線問題離村問題にかかわることを子どもたちつかませるなどの実践行ったまた、子どもの作文指導重視する生活綴方教師として、「だんじ」と題する学級文集を子どもと一緒になって編集し発行した。この文集当時丹後町山村に住む子どもの生活がとてもよくわかるものとなっている。なお、「だんじ」とは虎杖の別名である。 郷土教育精力的にとりくむかたわら池井は、衰退する地域財政的な援助期待できない行財政的に差別されている社会構造直視し、この課題に、児童地域住民とともに立ち向かうことを目指した。池井着任機に展開したへき地不平等是正求め運動のいくつか実を結び運動場拡張し地域住民共同運動会実施することや、温かい学校給食の提供、レントゲン車導入などを実現させた。そうした児童学校生活充実並行して三山住民たちと「暮らしを守る会」を結成し住民とともに要求をまとめ、三山住民田畑所有していた碇高原上る道の拡幅舗装公民館建設便所改良盆踊り再開など地域住民全体生活環境の改善実現していった。なかでも池井同校去った3年後1975年昭和50年)に実現した三山集落住民三宅地区への集団移転は、行政当局との条件保障交渉の上地域分断防ぎ全国でも稀な好条件での離村成し遂げた画期的事例として広く知られる池井は、とりわけ離村進み集落に1軒だけ残された家にクラスの子どもたちを連れて行くことで、衰退地域過酷さに「同情ではなく共感」することを重視しへき地暮らし共同守り抜こうとする地域運動のきっかけを育んだ。へき地差別許さない認識育て山々子どもたち歩き回って山菜銀杏を採り、ドジョウ養殖や、越冬試験など創意工夫富んだ実践行った

※この「虎杖小学校での実践」の解説は、「池井保」の解説の一部です。
「虎杖小学校での実践」を含む「池井保」の記事については、「池井保」の概要を参照ください。

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