菊花賞を見送り、古馬に挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/12 23:31 UTC 版)
「バブルガムフェロー」の記事における「菊花賞を見送り、古馬に挑戦」の解説
陣営は、秋の目標を、4歳馬のみで争うクラシックの第3弾、芝3000メートルの菊花賞ではなく、主に古馬が争う芝2000メートルの天皇賞(秋)に定める。天皇賞(秋)は、第1回となる1937年のみ4歳馬の出走が認められていたが、翌1938年から1986年までは4歳馬に出走権がなく、古馬のみで行われていた。そして1987年から、4歳馬に出走権が復活する。復活2年目の1988年には、制度上の問題でクラシック参戦が叶わなかった、14連勝中のオグリキャップが挑み、タマモクロスに敵わず2着となっていた。また1995年、バブルガムフェロー挑戦の1年前には、皐月賞優勝馬並びに東京優駿2着馬のジェニュインが距離適性を理由に、古馬に挑み、サクラチトセオーにハナ差敗れる2着となっていた。解禁後の9年間では4頭が出走したものの、4歳馬の優勝はなかった。 前年のジェニュインは、距離適性があると考えるとともに、適性外の菊花賞を強行した際のリスクを忌み嫌って、天皇賞(秋)を選んでいた。一方のバブルガムフェローも、距離適性があると考えるまでは同様だが、藤沢によれば「ウチのタイキブリザードと比べても(中略)ヒケをとらない素質を感じる(中略)天皇賞でも勝ち負けになる」と見込んでいた。さらに藤沢は、4歳限定の菊花賞よりも、古馬混合のタイトルに魅力を感じる思想の持ち主だった。また一般にサラブレッドは、5歳秋に内面外面ともに成熟すると考えられていた。そのため、4歳秋ではまだ成長途上にあって敵わないのではないか、と考えられていた。しかし種牡馬サンデーサイレンスの登場、育成や調教方法の研究が進んだこともあって、その定説が崩れつつあった。そのような背景もあり、4歳馬はすべからく菊花賞に進むべきという既定路線を裏切る、ジェニュイン、バブルガムフェローといった存在が登場していた。2頭はいずれも父がサンデーサイレンスであり、それぞれ初年度、2年目産駒だった。 天皇賞(秋)に向けて、10月6日の毎日王冠(GII)で再始動となる。初めて古馬に挑むことになったが、有力古馬が軒並み他を選択しており、出走メンバーは「明らかに手薄」(河村清明)だった。12頭立て、10頭の古馬と対峙しながら、バブルガムフェローは5.0倍の2番人気となる。1番人気はもう1頭の4歳馬、春のNHKマイルカップを、同条件の主に古馬が出走する安田記念を上回るタイムで優勝した外国産馬タイキフォーチュンだった。バブルガムフェローは、スタートから中団を追走。直線で追い込んだが、逃げた8番人気トーヨーリファール、2番手追走の6番人気、アラブ首長国連邦から遠征のアヌスミラビリスには敵わなかった。勝利したアヌスミラビリスに1馬身半+クビ差、トーヨーリファールにクビ差届かず3着となる。
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