アヌスミラビリス
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/07/31 15:38 UTC 版)
競走馬において、Annus Mirabilisと表される馬は3頭いる。
- アナスミラビリスは、日本の、1991年生まれの競走馬、繁殖牝馬[1]。現役時代は未勝利戦の1勝の成績に留まったが、繁殖牝馬として2007年のエンプレス杯などを制したトーセンジョウオーや、2015年のサウジアラビアロイヤルカップを制しオーストラリアに移籍後にG1級競走2勝を挙げたブレイブスマッシュの母となったトーセンスマッシュなどを産んだ。
- アヌスミラビリスは、フランスで生産された、1992年生まれの競走馬。本項にて記述。
- Annus Mirabilisは、アイルランドで生産された、2011年生まれの競走馬[2]。2017年にオーストラリアで重賞を勝つなど活躍した。
アヌスミラビリス | |||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
![]() |
|||||||||||||||
欧字表記 | Annus Mirabilis[3][4] | ||||||||||||||
品種 | サラブレッド[4] | ||||||||||||||
性別 | 牡[4] | ||||||||||||||
毛色 | 鹿毛[4] | ||||||||||||||
生誕 | 1992年3月15日[3][4] | ||||||||||||||
死没 | 1999年11月4日(7歳没) | ||||||||||||||
父 | Warning[3][4] | ||||||||||||||
母 | Anna Petrovna[3][4] | ||||||||||||||
母の父 | ワッスル[3][4] | ||||||||||||||
生国 | ![]() |
||||||||||||||
生産者 | Darley Stud Management[3][4] | ||||||||||||||
馬主 | Sheikh Mohammed →Godolphin [3][4] |
||||||||||||||
調教師 | Michael R. Stoute(イギリス) →Saeed bin Suroor(UAE) [3][4] |
||||||||||||||
競走成績 | |||||||||||||||
生涯成績 | 30戦9勝[3][4] | ||||||||||||||
獲得賞金 | 1,004,912ポンド[3] | ||||||||||||||
|
アヌスミラビリス(欧字名:Annus Mirabilis、1992年3月15日 - 1999年11月4日)は、フランスで生産された競走馬[4]。1996年の毎日王冠を制したほか、ウィンターヒルステークスを1996年から1998年まで3連覇した。
概要
1994年9月2日、ムハンマド・ビン=ラーシド・アール=マクトゥームの所有馬としてケンプトンパーク競馬場での条件競走でデビューし、4着。2戦目グレートヤーマス競馬場のメイドン競走で初勝利を挙げ、続くリステッド競走のサマーヴィルタタソールステークスにも勝利。レーシングポストトロフィーでもセルティックスウィングの2着に入る。1995年を迎え、初戦ダンテステークス2着のあと2戦続けてマイル路線に向かい、ジャンプラ賞で2着、セントジェームズパレスステークスで5着とする。アイリッシュダービーと古馬との初対戦のインターナショナルステークスで連続3着のあと、エア競馬場のリステッド競走ドゥーンサイドカップで1年ぶりの勝利を挙げた。このあと休養に入り、休養中にゴドルフィンに移ってサイード・ビン・スルール厩舎に移籍する。
1996年に入り、初戦のナドアルシバ競馬場での一般戦キーンランドマイルで4頭立ての4着ののち、続く3戦をタタソールズゴールドカップ3着、ハードウィックステークス2着、プリンセスオブウェールズステークス3着とし、キングジョージ6世&クイーンエリザベスステークスではペンタイアの5着。8月にウィンザー競馬場のG3競走ウィンターヒルステークスに勝利したあと日本に遠征し、毎日王冠では6番人気ながらトーヨーリファール以下を下して勝利した。翌1997年、初戦のシャティン競馬場でのクイーンエリザベス2世カップでロンドンニューズの3着に入った後、8月ニューマーケット競馬場の条件ステークス1着を経て出走のウィンターヒルステークスを連覇し、アメリカのマンノウォーステークスへ遠征もインフルエントの5着。12月の香港国際カップはヴァルズプリンスの7着に終わる。1998年はナドアルシバの一般戦2戦で連続2着としたあとドバイデューティフリーに勝利。イタリア共和国大統領賞2着、鳴尾記念3着を経てウィンターヒルステークスに出走し、3連覇を達成した。このあとマッキノンステークスに出走も4着。翌1999年5月にグッドウッド競馬場でのシャーガーカップクラシックで10頭立ての10着だったのが最後の競馬となった。
引退後は日本のレックススタッドで種牡馬入りが決まり、1999年10月12日に北海道胆振動物検疫所に到着したが、到着時点で高熱を出しており即時の治療が必要な状態にあった。しかし抗生物質等の投与によって伝染病の発症が抑えられるおそれがあるとの理由で検疫所が関係者からの治療要求を拒絶したため、3週間を検疫所で過ごすこととなり、検疫期間明けの11月2日に社台ホースクリニックに搬送も2日後の11月4日に死亡。競馬ライターの後藤正俊は、自身の見立てとして「あまりにもお役所仕事的な対応」としている[8]。
競走成績
以下の内容は、Racing Post[3]、EQUIBASE[5]、JBISサーチ[6]およびnetkeiba.com[7]の情報および記載法に基づく。
出走日 | 競馬場 | 競走名 | 格 | 距離(馬場) | 頭数 | 枠番 (Draw) |
馬番 (horse No.) |
着順 | 騎手 | 斤量(st./lb./kg換算) | タイム | 着差 | 勝ち馬/(2着)馬 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1994. | 9. 2ケンプトンパーク | 条件競走 | 芝7f(Gd) | 10 | 5 | 4着 | P. エデリー | 8-10(122/55.5) | (3馬身) | Stiletto Blade I | |||
9.14 | グレートヤーマス | メイドン競走 | 芝7f (Sft) | 13 | 3 | 1着 | R. コクレーン | 9-0(126/57) | 1:29.30 | 3馬身 | (Neuwest) | ||
9.30 | ニューマーケット | サマーヴィルタタソールS | L | 芝7f (GF) | 7 | 4 | 1着 | M. キネーン | 8-9(121/55) | 1:25.15 | 1馬身1/4 | (Muhab) | |
10.22 | ドンカスター | レーシングポストT | G1 | 芝1m (GS) | 8 | 8 | 2着 | L. デットーリ | 9-0(126/57) | (12馬身) | Celtic Swing | ||
1995. | 5.17ヨーク | ダンテS | G2 | 芝1m2f85y (Gd) | 8 | 6 | 2着 | M. キネーン | 8-11(123/55.5) | (1/2馬身) | Classic Cliche | ||
6. 4 | シャンティイ | ジャンプラ賞 | G1 | 芝1m1f (Gd) | 7 | 7 | 2着 | M. キネーン | 9-2(128/58) | (ハナ) | Torrential | ||
6.20 | アスコット | セントジェームズパレスS | G1 | 芝1m (GF) | 9 | 1 | 5着 | パット・エデリー | 9-0(126/57) | (5馬身1/2) | Bahri | ||
7.20 | カラ | 愛ダービー | G1 | 芝1m4f (GF) | 13 | 8 | 3着 | W. スウィンバーン | 9-0(126/57) | (3/4馬身) | Winged Love | ||
8.15 | ヨーク | インターナショナルS | L | 芝1m2f85y(GF) | 6 | 4 | 3着 | M. キネーン | 8-11(123/55.5) | (5馬身1/4) | Halling | ||
9.16 | エア | ドゥーンサイドC | L | 芝1m3f(Gd) | 7 | 4 | 1着 | D. ホランド | 8-4(116/52.5) | 2:17.04 | 5馬身 | (Captain Horatius) | |
1996. | 3.10ナドアルシバ | キーンランドマイル | ダ1m | 4 | 4着 | L. デットーリ | 8-12(124/56) | (12馬身1/2) | Istinsaar | ||||
5.26 | カラ | タタソールズゴールドC | G2 | 芝1m2f (Y) | 8 | 8 | 3着 | L. デットーリ | 8-12(124/56) | (4馬身) | Definite Artcle | ||
6.21 | アスコット | ハードウィックS | G2 | 芝1m4f (Gd) | 8 | 7 | 2着 | J. キャロル | 8-9(121/55) | (1/2馬身) | Oscar Schindler | ||
7. 9 | ニューマーケット | プリンセスオブウェールズS | G2 | 芝1m4f(Gd) | 8 | 6 | 3着 | J. リード | 9-2(128/58) | (3馬身3/4) | Posidonas | ||
7.27 | アスコット | キングジョージ6世&クイーンエリザベスS | G1 | 芝1m4f (GF) | 8 | 3 | 5着 | R. ヒルズ | 9-7(133/60) | (23馬身) | Pentire | ||
8.24 | ウィンザー | ウィンターヒルS | G3 | 芝1m2f (Sft) | 5 | 3 | 1着 | L. デットーリ | 9-0(126/57) | 2:09.10 | 3/4馬身 | Salmon Ladder | |
10. 6 | 東京 | 毎日王冠 | GII | 芝1800m(良) | 12 | 4 | 4 | 1着 | D. ホランド | 57kg | 1:45.8 | -0.2 | (トーヨーリファール) |
1997. | 4.13シャティン | クイーンエリザベス2世C | G1 | 芝1m2f (GF) | 14 | 3着 | L. デットーリ | 9-0(126/57) | (1馬身) | London News | |||
8. 8 | ニューマーケット | 条件S | 芝1m2f (GF) | 6 | 5 | 1 | 1着 | L. デットーリ | 9-7(133/60) | 2:06.07 | 1馬身1/2 | (Sarayir) | |
8.23 | ウィンザー | ウィンターヒルS | G3 | 芝1m2f(Fs) | 4 | 2 | 1 | 1着 | L. デットーリ | 9-8(134/60.5) | 2:03.80 | 3馬身1/2 | (Even Top) |
9.21 | ベルモントパーク | マンノウォーS | G1 | 芝11f (Fm) | 10 | 8 | 8 | 5着 | G. スティーヴンス | 9-0(126/57) | (3馬身) | Influent | |
12.14 | シャティン | 香港国際カップ | G2 | 芝1m1f (GF) | 14 | 7着 | L. デットーリ | 9-0(126/57) | (3馬身1/2) | Val's Prince | |||
1998. | 1.29ナドアルシバ | ANZ銀行S | ダ1m1f (Fs) | 3 | 2着 | J. キャロル | 9-2(128/58) | (1/2馬身) | Sharaf Kabeer | ||||
2.22 | ナドアルシバ | アルタジールグラスレース | ダ1m1f (Fs) | 4 | 2 | 2着 | W. スウィンバーン | 8-11(123/55.5) | (1馬身1/4) | Intikhab | |||
3.28 | ナドアルシバ | ドバイデューティフリー | ダ1m2f (Fs) | 10 | 9 | 9 | 1着 | G. スティーヴンス | 9-0(126/57) | 2:04.32 | 6馬身 | (Intikhab) | |
5.28 | カパネッレ | イタリア共和国大統領賞 | G1 | 芝1m2f (Gd) | 7 | 1 | 2着 | L. デットーリ | 9-0(126/57) | (1馬身1/4) | Polar Prince | ||
6.21 | 阪神 | 鳴尾記念 | GII | 芝2000m (不) | 14 | 4 | 6 | 3着 | 横山典弘 | 58kg | 2:04.3 | 0.7 | サンライズフラッグ |
8.29 | ウィンザー | ウィンターヒルS | G3 | 芝1m2f(GF) | 9 | 1 | 2 | 1着 | D. オドノヒュー | 9-4(130/59) | 2:03.90 | クビ | (Mountain Song) |
10.31 | フレミントン | マッキノンS | G1 | 芝1m2f(Hy) | 11 | 6 | 12 | 4着 | L. デットーリ | 9-2(128/58) | (4馬身) | Champagne | |
1999. | 5. 8グッドウッド | シャーガーCクラシックS | 芝1m2f(Gd) | 10 | 4 | 1 | 10着 | D. オドノヒュー | 9-4(130/59) | (22馬身1/2) | Handsome Ridge |
- 馬場状態:Fm=Firm, GF=Good to Firm, Gd=Good, GS=Good to Soft, Y=Yielding, Sft=Soft, Hy=Heavy, Fs=Fast
血統表
アヌスミラビリスの血統 | (血統表の出典)[§ 1] | |||
父系 | インリアリティ系 |
[§ 2] | ||
父
*ウォーニング Warning 1985 鹿毛 |
父の父
Known Fact1977 鹿毛 |
In Reality | Intentionally | |
My Dear Girl | ||||
Tamerett | Tim Tam | |||
Mixed Marriage | ||||
父の母
Slightly Dangerous1979 鹿毛 |
Roberto | Hail to Reason | ||
Bramalea | ||||
Where You Lead | Raise a Native | |||
Noblesse | ||||
母
Anna Petrovna 1987 鹿毛 |
*ワッスル Wassle 1980 黒鹿毛 |
Mill Reef | Never Bend | |
Milan Mill | ||||
Hayloft | Tudor Melody | |||
Haymaking | ||||
母の母
Anna Paola1978 栗毛 |
Prince Ippi | Imperial | ||
Princess Addi | ||||
Antwerpen | Waldcanter | |||
Adelsweihe | ||||
母系(F-No.) | (FN:7-f) | [§ 3] | ||
5代内の近親交配 | Tudor Minstrel 5 × 5 = 6.25% | [§ 4] | ||
出典 |
- 祖母はディアナ賞(独オークス)の勝ち馬。
脚注
- ^ アナスミラビリス - JBISサーチ、2022年7月24日閲覧。
- ^ Annus Mirabilis(IRE) - JBISサーチ、2022年7月24日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m “Annus Mirabilis(FR) form”. Racing Post. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “Annus Mirabilis(FR)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b “Results - Charts - Man o' War Stakes (Gr. 1)”. EQUIBASE Horse Profile. Equibase Company LLC.. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b “Annus Mirabilis(FR) 競走成績”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b “アヌスミラビリス Annus Mirabilisの競走成績”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年5月31日閲覧。
- ^ 「引退後~」以降の出典は『競馬名馬&名勝負年鑑 1999-2000』、宝島社、2000年、ISBN 4796694927、p.219
- ^ a b c “Annus Mirabilis(FR)”. JBISサーチ. 公益社団法人日本軽種馬協会. 2020年5月31日閲覧。
- ^ a b c “アヌスミラビリス Annus Mirabilisの5代血統表”. netkeiba. Net Dreamers Co., Ltd.. 2020年5月31日閲覧。
外部リンク
- 競走馬成績と情報 netkeiba、スポーツナビ、JBISサーチ、Racing Post
アナス・ミラビリス
(アヌスミラビリス から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/26 08:59 UTC 版)
アナス・ミラビリス(ラテン語: annus mirabilis)は、「驚異の年」、「奇跡の年」、「素晴らしい年」、「驚くべき年」を意味するラテン語の言いまわしである。
ラテン語読みでアヌス・ミラビリスとも表記される。これは、「ひどい年」「恐怖の年」を意味するアナス・ホリビリス(annus horribilis)との対比となっている。元々は、アイザック・ニュートンが生涯における複数の主要な発見をした1666年のことを指す言葉だったが、今日では、大きな重要な出来事が記憶されているいくつかの年を指す言葉として使われている。
ニュートン以前にも、トーマス・デッカーが1603年に出版したパンフレット"The Wonderful Year"の中で、mirabilis annusという言葉が使われていた[1]。
1543年
1543年は、以下の2つの出来事があった年であり、科学革命の始まりの年とみなされている[2]。
- アンドレアス・ヴェサリウスがバーゼルで『ファブリカ』こと"De humani corporis fabrica"(人体の構造について)を発表し、人体解剖学と医学に革命をもたらした。
- ニコラウス・コペルニクスがニュルンベルクで『天球の回転について』を発表し、天文学に革命をもたらした。
1625年
三十年戦争中の1625年、スペインは複数の重要な戦闘で勝利を収めた。その戦闘とは、ブレダ包囲戦、ジェノバの救援、バイーアの奪還、サン・ファンの戦い、カディス防衛戦である[3]。
これらの戦闘は、マドリードのブエン・レティーロ宮殿の「王国の間」にある絵画で有名になった[4]。
1644–1645年
1644年から1645年にかけての三王国戦争で、スコットランドの初代モントローズ侯爵ジェームズ・グラハムが軍事的に成功したことを「アヌス・ミラビリス」と呼ぶことがある[5][6]。
1665-1666年
イングランドにおいて、1665年から1666年にかけて瞠目すべき出来事が複数発生した。
1665年6月13日に第2次英蘭戦争においてローストフトの海戦が勃発し、イングランド海軍がオランダ海軍に対して大勝利を収めた。1666年には、6月1日に4日海戦、7月25日に聖ジェイムズ日の海戦があり、いずれも勝利した。9月2日から9月7日にかけてはロンドン大火があった。これらの出来事を題材として、ジョン・ドライデンは長編の詩「驚異の年」(Annus Mirabilis)を書いた。
1666年
1666年、当時23歳のアイザック・ニュートンは、この年1年で微積分、運動、光学、重力の分野で画期的な発明・発見をした。その中には万有引力の法則も含まれる。ペストの流行でケンブリッジ大学が閉鎖されたため、ニュートンは自分の理論に取り組む時間を得ることができた[7][8]。
1706年
1706年、スペイン継承戦争において、マールバラ公は前年の大失敗から一転、いくつかの勝利(特にラミイの戦いでの勝利)を収め、ジェームズ・フォークナーは「奇跡の年」と称した[9]。
1759年
1759年、イギリス軍は七年戦争において北米、ヨーロッパ、インドなど様々な海戦で勝利を収め、「ウィリアム・ピット(大ピット)の奇跡の年」と呼ばれた。この年は、七年戦争の決戦の年となった[10][11]。
1905年
1905年、当時26歳のアルベルト・アインシュタインは、光電効果、ブラウン運動、特殊相対性理論、そして有名なE = mc2の方程式に関する論文を1年間で発表した[12][13]。
脚注
- ^ ed. Hibbard, G.R. (1951). Three Elizabethan Pamphlets (1951 ed.). London: George G. Harrap & Co. LTD. p. 173. ISBN 0836950348
- ^ “Archived copy”. 2008年7月5日時点のオリジナルよりアーカイブ。2010年11月5日閲覧。 Western New England College
- ^ Sanz Camañes, Porfirio (2018) (スペイン語). Inglaterra y la Monarquía hispana. La guerra anglo-española de 1625-1630 y el conflicto europeo. Manuscrits: Revista d'història moderna. pp. 64.
- ^ Elliott, John Huxtable (1986). The Count-Duke of Olivares: The Statesman in an Age of Decline. New Haven, Connecticut, USA: Yale University Press. p. 226. ISBN 0300044992
- ^ Royle, Trevor (2004) (英語). The British Civil War: The Wars of the Three Kingdoms, 1638-1660. Macmillan. p. 337. ISBN 9780312292935
- ^ Barratt, John (2004) (英語). Cavalier Generals. Pen and Sword. p. 191. ISBN 9781473813038
- ^ “Universal Gravitation – The Physics Hypertextbook”. 2012年12月10日閲覧。 “In the same year [1666] I began to think of gravity extending to the orb of the moon, .... All this was in the two plague years of 1665 and 1666, for in those days I was in the prime of my age for invention, and minded mathematics and philosophy more than at any time since.”
- ^ “Newton's Birth Date and The Anni Mirabiles”. 2012年12月10日閲覧。 “In the beginning of the year 1665 I found the Method of approximating series & the Rule for reducing any dignity of any Binomial into such a series. The same year in May I found the method of Tangents of Gregory & Slusius, & in November had the direct method of fluxions & the next year in January had the Theory of Colors & in May following I had entrance into the inverse method of fluxions. And the same year I began to think of gravity extending to the orb of the Moon & (having found out how to estimate the force with which a globe revolving within a sphere presses the surface of the sphere) from Keplers rule of the periodical times of the Planets being in sesquialterate proportion of their distances from the centers of their Orbs, I deduced that the forces which keep the Planets in their Orbs must be reciprocally as the squares of their distances from the centers about which they revolve: and thereby compared the force requisite to keep the Moon in her Orb with the force of gravity at the surface of the earth ... All this was in the two plague years of 1665 and 1666. For in those days I was in the prime of my age of invention & minded Mathematics & Philosophy more than at any time since.”
- ^ Falkner, J., 2006. Ramillies 1706. Havertown: Pen and Sword.
- ^ Blanning p.299
- ^ Monod p.167
- ^ Johns Hopkins University, Baltimore Archived December 19, 2008, at the Wayback Machine.
- ^ “How Albert Einstein's Theory of Relativity Changed Our Universe”. The Forward. 2015年11月23日閲覧。
参考文献
- Blanning, T.C.W.The Culture of Power the Power of Culture: Old Regime Europe 1660–1789. Oxford University Press, 2002.
- Monod, Paul Kléber. Imperial Island: A History of Britain and Its Empire, 1660–1837. Wiley-Blackwell, 2009.
関連項目
固有名詞の分類
サラブレッド |
バードキャッチャー センダワール アヌスミラビリス オールドマン イブキライズアップ |
イギリス調教の競走馬 |
マインシャフト インタグリオー アヌスミラビリス ロイヤルチャージャー ケード |
フランス生産の競走馬 |
オールアロング ドリームウェル アヌスミラビリス ハイトオブファッション スタセリタ |
1992年生 (競走馬) |
タンディチェイル ラムタラ アヌスミラビリス アドマイス アンバリーハウス |
アラブ首長国連邦調教の競走馬 |
ドバイミレニアム ハートレイク アヌスミラビリス ファンタスティックライト キングスシアター |
- アヌスミラビリスのページへのリンク