菊花賞以後 - 引退
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/21 17:02 UTC 版)
菊花賞の後、メイズイは保田を背に態勢立て直しを期したクモハタ記念を快勝。年末にはファン投票1位で有馬記念(グランプリ)の出走馬に選出され、当日は1番人気に支持された。しかし前走天皇賞(秋)をレコードタイムで制していたリュウフォーレルの2着に終わった。秋は精彩を欠く結果となったが、春のクラシック二冠が評価され、翌1月には当年の年度代表馬にリュウフォーレルと同時選出された。 5歳となった翌1964年は、春の天皇賞を目標にアメリカジョッキークラブカップから始動するも、5着と敗れる。しかしその後のオープン戦、前哨戦スワンステークスを連勝して天皇賞に臨み、1番人気に推された。しかし最後の直線を先頭で逃げ粘るも、前走で4着に退けていた関西馬ヒカルポーラにゴール寸前で差し切られ、3/4馬身差の2着に終わった。 休養の後、秋の天皇賞を目標に10月の復帰戦から3連勝。しかし本番の天皇賞はヤマトキョウダイの8着と大敗。年末の有馬記念には、当年にクラシック三冠を達成したシンザンを押さえて1位で選出されたが、ヤマトキョウダイの3着に終わった。この競走を最後に引退の予定だったが、負けたままでは格好が付かないとして年明け1月5日のオープン戦に出走し、ここを勝利して引退。同月24日、千明牧場出身の天皇賞優勝馬コレヒサと共に、東京競馬場で引退式が行われた。
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