菊花賞挑戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/12 02:45 UTC 版)
秋は、クイーンステークスから始動したが、脚部不安から調子を崩し、同じ4歳牝馬のフラワーウツドに4馬身差の2着と完敗。続く、セントライト記念も勝ったウメノチカラから3馬身離された3着に終わった。この後、京都に遠征。オープン戦を5着として、菊花賞に臨んだ。カネケヤキは近走の不調から、12頭立ての9番人気と言う低評価だった。 当時はビクトリアカップ(1970年創設。後のエリザベス女王杯、秋華賞の前身)が創設される前で、日本セントレジャーに相当する菊花賞への牝馬の挑戦は珍しいものではなかった。実際にカネケヤキ以前に牝馬二冠を達成した3頭はいずれも菊花賞に挑戦しており、このほかクリフジやブラウニーと言った菊花賞を勝利した牝馬も居た。とは言え、牝馬クラシック三冠は正式に設定されたものではなく注目もされなかった。一方、この年はクラシック三冠を狙うシンザンが出走しており、大きな注目を集めていた。後世から振り返った場合、結果的にこの競走は牡馬と牝馬の二冠馬が三冠をかけて対決した最初で最後の菊花賞である。 レースでは、他馬を大きく引き離しての大逃げをうつという奇策に出た。4コーナーまで粘り、レースを大きく盛り上げた。直線で失速したものの、脚部不安のなか牡馬に伍しての5着と健闘した。 この後は、5歳時にオープン戦を1戦しただけで引退、繁殖入りした。
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