英蘭間の政治的緊張とは? わかりやすく解説

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英蘭間の政治的緊張

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/01 03:05 UTC 版)

第一次英蘭戦争」の記事における「英蘭間の政治的緊張」の解説

1642年から始まったイングランド内戦中、オランダ総督オラニエ公フレデリック・ヘンドリックは、その家族的結びつきからチャールズ1世財政的な支援あたえており、それはオランダ強力な軍隊がまさにイングランド介入しようという瀬戸際にあったほどである。ヘンドリックの子ウィレムは、1641年チャールズ1世の娘メアリー・ヘンリエッタ・ステュアート結婚していた。ウィレムウィレム2世)は、フレデリック・ヘンドリック死去後1647年3月21歳若さオランダ総督として就任した1649年1月イングランド王チャールズ斬首されたとき、オランダ人(ことにオラニエ家人びと)は国王殺し大逆罪におおいに憤慨したその結果清教徒革命指導者オリバー・クロムウェルは、オランダ共和国の敵とみなされのである。 にもかかわらずイギリスオランダとは多くの点で共通するものをもっていた。いずれも共和政国家であり、宗教的にプロテスタントであったイングランド王党派オラニエ家頼りにしていたのに対し議会派の方は同じ改革派の国としてオランダにおおいに期待しており、王党派追放強く求めたオランダとしては思わぬ板挟みのかたちになった。しかし、ウィレム2世総督となるや、君主制への野心満たそうとした。亡父フレデリック・ヘンドリックは軍事独裁確立することによっていつでも君主制移れるよう試行していた。州総督および陸海軍最高司令官としてオランダ率いたフレデリック・ヘンドリックは、対スペイン戦で大きな戦果をあげてオラニエ家威信内外高めたが、一方でフランス風宮殿造営し宮廷生活を送りスチュアート家ブランデンブルク選帝侯はじめドイツの諸侯とのあいだに姻戚関係を結ぶなど王朝外交展開していた。オラニエ家それまでオランダ掲げてきた連邦共和政原理から乖離ていったウィレム2世は、岳父であるチャールズ1世処刑されるスチュアート朝復活に向けて公然と活動開始した。このとき、ウィレム対し抵抗意思の強いホラント州中心アムステルダム)は、クロムウェル支援求めて漠然とではあるがホラント州コモンウェルスイングランド共和国連邦)に参加する可能性があることを彼に申し入れたオランダ国内では、オラニエ派と反オラニエ派の内訌激しさ増していった。ウィレム2世1650年7月、反オラニエ派の有力者ヤーコブ・デ・ウィット(英語版)(ヨハン・デ・ウィットの父)をルーヴェステイン城(英語版)に拘束したり、同族にあたるフリースラント州総督ウィレム・フレデリック(ナッサウ=ディーツ侯)手を結んでアムステルダム包囲したこともあった。 1651年航海条例イングランド議会通過し、「イングリッシュ・ボトムス("English bottoms")」すなわちイングランド船を用いて出荷されない限りアメリカイングランド植民地との貿易制限されるようになった実際に世界中のどこからでもイングランドないしその植民地の港に運ばれる荷物イングランド船で搬送されなければならない、としたのである。そしてまた航海条例は、チャールズ1世つながり王党派に共感を示すイングランド植民地との全取引禁止した航海条例の諸規定受け入れることは、オランダ人からはオランダ貿易イングランド貿易システム従属するものとみなされた。これはオランダ誇り侮辱しオランダ中継貿易オランダ経済打撃あたえるものであったが、戦争真の原因は、オランダ船の輸送対すイングランド海軍私掠船行動であった1651年オランダ商船140隻が公海上で押収された。1652年1月にはその1か月だけで他のオランダ50隻が拿捕され、イングランドの諸港に連れ去られた。ネーデルラント連邦共和国議会スターテン・ヘネラール)からイングランド向けられ抗議無駄に終わったイングランド議会はこれらオランダ船舶奪取抑えようとする傾向何ら示さなかったのである

※この「英蘭間の政治的緊張」の解説は、「第一次英蘭戦争」の解説の一部です。
「英蘭間の政治的緊張」を含む「第一次英蘭戦争」の記事については、「第一次英蘭戦争」の概要を参照ください。

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