英蘭抗争の終結
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 03:08 UTC 版)
第3次英蘭戦争(1672年 - 1674年)はフランスの始めたオランダ侵略戦争(1672年 - 1678年)にイングランドが協力する形で始まった。1673年、イングランドとフランスは大艦隊を組織してオランダを襲ったが、オランダの名提督ミヒール・デ・ロイテルに撃退された。この後オランダ総督オラニエ公ウィレム3世(後のイングランド王ウィリアム3世)はオーストリア・スペインと同盟を結んでフランスを包囲、フランス軍を撤退させた。戦局ふるわず、財政危機に陥ったフランスは、1675年に多額の戦争資金を募り、スウェーデン=バルト帝国の参戦を促した。しかしスウェーデンのドイツ侵攻は、ドイツ諸侯の反感を買い、その最前線にあったブランデンブルク選帝侯はオランダと同盟を結んで対抗した。ブランデンブルク=プロイセンの興隆は、後の英仏の両国関係にも大きく影響を及ぼすこととなる。 さらに、イングランド議会では、オランダがフランスの手に落ちればイングランドはフランス重商主義によって経済的に屈服させられる、という声が高まり、チャールズ2世に親仏路線の撤回を求めた。このため、1677年にチャールズ2世は弟ヨーク公(後のジェームズ2世)の娘メアリ(後のメアリー2世)をウィレムに嫁がせて同盟を結んだ。
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