英訳による読者の広がり
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/03 14:38 UTC 版)
「アイザック・バシェヴィス・シンガー」の記事における「英訳による読者の広がり」の解説
1952年のソール・ベローによる翻訳によってアメリカの読者から幅広い関心を集めたことをきっかけに、シンガーの作品は親類や友人らの助けを得て相次いで英訳刊行されることになった。やがて英語で書く作家たちとともにアメリカ・ユダヤ系作家のアンソロジーにも作品が収録されるようにもなり、シンガーはイディッシュ語作家でありつつもアメリカの代表的作家としても認められるようになる。1970年には全米図書賞の児童書部門で、1974年にはその小説部門で受賞を果たし、評価の点でもアメリカの第一線の作家らと肩を並べた。 シンガーの最も重要なテーマの一つに、新旧両世界の価値観のせめぎ合いという問題がある。これは主にシンガーの一族を描いた連作長篇『モスカット家一族(英語版)』(1950年)、『領地(イタリア語版)』(1967年)、『財産(イタリア語版)』(1969年)などに登場するテーマで、時にトーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』にたとえられることがある。これらの作品では、19世紀から第二次世界大戦に至る時代を背景にして、旧家の一族が新しい世代によって分裂し零落する有様を描いている。 1960年代を通じて、シンガーは個人的な倫理の問題を追究し続けた。特に有名な作品は『敵たち-ある愛の物語』で、映画化もされている。これは、ホロコーストのある生き残りが、いかに己の欲望や複雑な家族関係と向き合い、信仰を失うかを描いた物語である。もう一つの作品『イェントル』はフェミニスト小説で、『愛のイエントル』の題名で映画化されている(主演はバーブラ・ストライサンド)。この小説は、映画になったために、後世への文化的影響力を持ち続けている。 シンガー自身の宗教との向き合い方は複雑だった。正統派のユダヤ教に絆を感じつつも、自分自身を懐疑論者かつ個人主義者と見なしていたからである。彼自身の思想は最終的に「私的神秘主義」と彼が呼ぶものに変遷した。「なぜなら神は完全に不可知で永遠に何も語らないので、人が想定するどんな特徴でも持っているだろうからだ」と彼は語った。 1978年にノーベル文学賞を受けてからは、世界中の文学者の間で不滅の名声を獲得した。むしろ、イディッシュ作家からの評価よりも、非ユダヤ人からの評価のほうが高い。しかし、しばしば性的な話題を取り上げたため、敬虔なユダヤ教徒からは顰蹙を買うこともあった。 1991年、脳卒中のためフロリダ州マイアミで病死した。彼は「動物にとって、毎日がトレブリンカだ」と述べており、亡くなるまでの35年間、熱心な菜食主義者としても知られた。
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