英主カック・ティリウ・チャン・ヨアートの即位とコパンの打倒
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「キリグア」の記事における「英主カック・ティリウ・チャン・ヨアートの即位とコパンの打倒」の解説
650年から70年近くキリグアの歴史は空白であるが、724年12月29日にカック・ティリウ・チャン・ヨアート(K’ak’ Tiliw Chan Yoaat, 燃える空・雷の神、位724年 - 785年)、通称「カウアク空」(以下「カック・ティリウ」という。)と呼ばれる王がコパン王ワシャクラフン・ウバフ・カウィール(通称「18ウサギ」、「18ジョッグ」)の後見のもとに即位した。カック・ティリウは、20代後半から30代前半くらいだったと思われ、コパンに従属するキリグアの地位に忸怩たる想いがあったのかもしれない。カック・ティリウの二代後の「ヒスイ空」の治世に建てられた石碑Iには、736年にカック・ティリウが石碑を建てたと記述をする銘文があり、その行為は、「チーク・ナーブの神聖王」、すなわち、北方の大国カラクムルの王と関連付けて語られているため、カラクムルと接触していたとも考えられる。 ついに738年、カック・ティリウは、コパン王ワシャクラフン・ウバフ・カウィールを捕らえて斬首した。この事件は738年事件と呼ばれ、コパンの碑文の記録では槍と盾によって戦死したと記述されており、戦争で名誉の戦死をしたことになっている。カック・ティリウは一時的にコパンを支配したと考えられ、「14代目の王」という称号とともにコパン王の称号と神の名を石碑に刻ませている。「14代目の王」とは、コパン第13代の王であるワシャクラフン・ウバフ・カウィールに代わる14代目の王という意味ではないかという説が有力である。 カック・ティリウはコパンを倒したことによってモタグァ川流域の交易を独占することに成功し、モタグア川流域そのものの人口も増大した。しかし、キリグア自体の人口は数千人程度であったと考えられている。カック・ティリウはコパンの都市プランをまねて一辺325mもの大きな儀礼広場を造り、グループ1Aに壮大な「アクロポリス」を建設した。モタグァ川を見下ろす西側にはコパンの装飾技法をとりいれて太陽神であるキニチの像が刻まれた。また「アクロポリス」の北側に壮大な球戯場が造られた。カック・ティリウは9.15.15.0.0.(746年)の石碑Sから5トゥン(ホトゥン)ごとに石碑を建立した。751年(9.16.0.0.0.)に建てられた石碑Hはコパンの石碑Jをまねて斜格子文状に銘文が刻まれた。また756年(9.16.5.0.0.)には石碑Jが建立され、キリグアの石碑H及びJは、古風なラップアラウンド様式にならって3面にまたがって王の肖像が刻まれた。 さらに石碑Fは761年(9.16.10.0.0.)、石碑Dは766年(9.16.15.0.0.)、石碑Eは771年(9.17.0.0.0.)に建てられている。なかでも石碑Eは、高さ7.62mを誇り、マヤ地域ではもっとも背の高い石碑として知られている。キリグアには、シュクイという従属国があって、カック・ティリウはシュクイの王「日の出・ジャガー」の即位にあたって後見している。カック・ティリウが766年建てた石碑Dと獣形神Bと呼ばれる石彫を刻んだとき全身体の文字を刻ませた。獣形神Bは、山と宇宙のワニを組み合わせたイメージの精緻な石彫であり、それまでのキリグアの石碑に比べて技術的に優れている。そのような石碑を刻む技術を持った工人を連れて来られるほどの力を当時のキリグアが持っていたことを示している。カック・ティリウは、785年7月27日に亡くなり、かって「支配者2」と呼ばれた後継者の「空シュル」王によって埋葬された。その様子は、「空シュル」王が刻んだカメの形をした獣形神G(記念碑7号)の銘文に刻まれている。 獣形神Gには、カック・ティリウの魂は、「白い花の息」と比喩され、その「白い花の息」が死後の暗黒世界からトウモロコシの神が進んだ道をたどって再生に向かうための「道程についた」と表現されている。次にカメの形をした石の中へと読める表現は、獣形神Gそのものの石彫をあたわしているとも考えられるが、大地が宇宙に浮いているカメであるというマヤの宇宙観から、先王カック・ティリウの魂がカメとして表現される大地の中心へ入っていったことを表していると考えられる。続いてシュクイの王「日の出・ジャガー」に関することが刻まれてから10日後にカック・ティリウは、「13カワクの家」に埋葬されたと刻まれている。
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