自灯明、法灯明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/12 02:41 UTC 版)
自灯明、法灯明(じとうみょう、ほうとうみょう)は、釈迦の教えの言葉。
概要
この言葉は大般涅槃経の一説としてよく知られている。転輪王経もこの言葉を知る手がかりになる[1]。
釈迦がクシナガラの郊外のサラソウジュの林の中で、弟子たちに最後の教えで説いた言葉。そこで釈迦は弟子たちに、各々には自らを灯火として自らをよりどころとして他を頼りとしてはいけないと説いたのが自灯明である。そして仏法を灯火としてよりどころとして他の教えをよりどころとしてはいけないと説いたのが法灯明である[2]。
このことにより釈迦が亡くなってからは、自らをよりどころとすると同時に、仏の教えを示した真実の言葉である法をよりどころとして灯火としていくこととなった。自分をよりどころとするのであるが、その自分を支えるのは法ということである。釈迦は亡くなるときにも法によるように言っており、よりどころは全て法としている。それからの人々は、人生の指針は、釈迦がおられたからこその教えに従い行動を共にしてきた[2]。
転輪王経では釈迦はまず自灯明、法灯明の教えを示した後に転輪王について語る。転輪王というのは古代インドの武力に頼ることなく全インドを治めるという理想の王である。転輪王は自らが退位すると王位を息子に譲り出家する。この時に王位に就いた息子は、社会を法に基づいて統治して、法に背く行為をなさずに、時に応じて賢者たちに問うことが務めで、こうして転輪王となってきた。対して転輪王になれなかった王というのは、王位に就いてからは自分の考えで統治を行ってきた者である。本人は一生懸命務めを果たそうとするものの、盗みを働く者が出てきて、王がそれに対しては厳しい罰を与えることにして、人々は嘘をつくようになり、社会は崩れていき、人々は疑心暗鬼にかられて荒廃していった。経典ではこうなった様と言うのは、人の寿命は10歳になり、5歳の少女が結婚すると表現している。このようになった国の王には自灯明、法灯明が足りていなかったということである[1]。
脚注
- ^ a b “自灯明法灯明 | 光華女子学園”. 2024年7月5日閲覧。
- ^ a b “石上善應 | 公益財団法人仏教伝道協会 Society for the Promotion of Buddhism”. www.bdk.or.jp. 2024年7月5日閲覧。
自灯明・法灯明
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 06:28 UTC 版)
釈迦は多くの弟子を従え、ラージャグリハから最後の旅に出た。アンバラッティカ(巴: ambalaṭṭhika)へ、ナーランダを通ってパータリ村(後のパータリプトラ)に着いた。ここで釈迦は破戒の損失と持戒の利益とを説いた。 パータリプトラを後にして、増水していたガンジス河を渡り、コーティ村に着いた。次に釈迦は、ナーディカ村を訪れた。ここで亡くなった人々の運命について、アーナンダの質問に答えながら、人々に、三悪趣が滅し預流果の境地に至ったか否かを知る基準となるものとして法の鏡の説法をする。次にヴァイシャーリーに着いた。ここはヴァッジ国の首都であり、アンバパーリーという遊女が所有するマンゴー林に滞在し、四念処や三学を説いた。やがてここを去ってベールヴァ(Beluva)村に進み、ここで最後の雨期を過ごすことになる。釈迦はここでアーナンダなどとともに安居に入り、他の弟子たちはそれぞれ縁故を求めて安居に入った。この時、釈迦は死に瀕するような大病にかかった。しかし、雨期の終わる頃には気力を回復した。この時、アーナンダは釈迦の病の治ったことを喜んだ後、「師が比丘僧伽のことについて何かを遺言しないうちは亡くなるはずはないと、心を安らかに持つことができました」と言った。これについて釈迦は、 「 比丘僧伽は私に何を期待するのか。私はすでに内外の区別もなく、ことごとく法を説いた。アーナンダよ、如来の教法には、(弟子に何かを隠すというような)教師の握り拳(ācariyamuṭṭhi、秘密の奥義)はない。 」 と説き、すべての教えはすでに弟子たちに語られたことを示した。 「 アーナンダよ、汝らは、自(みずか)らを灯明とし、自らをより処として、他のもの(añña)をより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とすることのないように 」 と訓戒し、また、「自らを灯明とすこと・法を灯明とすること」とは具体的にどういうことかについて、 「 ではアーナンダよ、比丘が自らを灯明とし…法を灯明として…(自灯明・法灯明)ということはどのようなことか?阿難よ、ここに比丘は、身体について…感覚について…心について…諸法について…(それらを)観察し(anupassī)、熱心につとめ(ātāpī)、明確に理解し(sampajāno)、よく気をつけていて(satimā)、世界における欲と憂いを捨て去るべきである。 」 「 アーナンダよ、このようにして、比丘は自らを灯明とし、自らをより処として、他のものをより処とせず、法を灯明とし、法をより処として、他のものをより処とせずにいるのである 」 として、いわゆる四念処(四念住)の修行を実践するように説いた。 これが有名な「自灯明・法灯明」の教えである。
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