パータリプトラ
(パータリ村 から転送)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/11/24 10:22 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動
![]() |
この記事は検証可能な参考文献や出典が全く示されていないか、不十分です。2019年11月)
( |
![]() |
|
別名 | Pātaliputtā (パーリ語) |
---|---|
所在地 | インドビハール州パトナ県 |
地域 | 南アジア |
座標 | 北緯25度36分45秒 東経85度7分42秒 / 北緯25.61250度 東経85.12833度座標: 北緯25度36分45秒 東経85度7分42秒 / 北緯25.61250度 東経85.12833度 |
標高 | 53 m (174 ft) |
全長 | 14.5 km (9.0 mi) |
幅 | 2.4 km (1.5 mi) |
歴史 | |
建設者 | アジャータシャトル |
完成 | 紀元前490年 |
放棄 | 現代の パトナとなる |
管理者 | Archaeological Survey of India |
パータリプトラ(サンスクリット語:Pātaliputra、パーリ語:Pātaliputta, パータリプッタ、ギリシア語:Palibothra、漢:華氏城)は、マガダ国、マウリヤ朝、およびグプタ朝の都として繁栄した古代インド世界の中心都市の1つ。現在のビハール州の州都パトナにあたる。
歴史
マガダ国
紀元前6世紀か紀元前5世紀頃、マガダ国の王アジャータシャトルが、外征のための拠点として、(特にガンジス川を渡河するために)この地に城を築いた事から整備が進み、河川の合流点に位置し地の利のあるこの都市は急速に発展した。
アジャータシャトルの後の王ウダーインの時代には旧来の首都ラージャグリハ(王舎城)からパータリプトラに首都が遷され、その後長くマガダ国の首都として繁栄した。
マウリヤ朝
インド亜大陸の大半を征服することになるマウリヤ朝の時代にはパータリプトラの繁栄も頂点に達し、マウリヤ朝の初代王チャンドラグプタの時代にパータリプトラを訪れたギリシア人メガステネスの記録によれば「無数にあるインドの都市の中で最大の都市」であった。
しかしマウリヤ朝の第3代王アショーカの後、チェーティ朝の王カーラヴェーラやインド・グリーク朝の王メナンドロス1世らがパータリプトラに脅威を与え、またマガダ国自体の政治的地位も低下していったため、次第に衰退した。
グプタ朝
グプタ朝時代(320年から550年頃)には再び巨大帝国の首都として繁栄の時代を迎えたが、その後次第にインド世界の中心都市としての地位は失われた。
出土品
関連項目
パータリ村
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/01/05 07:52 UTC 版)
「大般涅槃経 (上座部)」の記事における「パータリ村」の解説
次に、釈迦たちは、パータリ村(パータリプッタ)へ行き、在家信徒たちが提供する宿泊所に滞在した。 釈迦は、在家信徒たちに、戒律を破ることの禍として、 財産を失う 悪い評判が起きる 不安でおじける 死ぬ際に精神が錯乱している 地獄に生まれ変わる を挙げ、逆に、戒律を守ることの果報として、 財産が豊かになる 良い評判が起きる 泰然としている 死ぬ際に精神が錯乱していない 天国に生まれ変わる を挙げる。 そして、夜更けになるまで、「法に関する講話」を説き、教え、励まし、喜ばせ、別れを告げた。 その当時のパータリ村では、マガダ国の2人の大臣スニーダとヴァッサカーラが、ヴァッジ族の侵入を防ぐための城郭を築いていた。釈迦はそれを見て、三十三天の神々と相談しているかのごとく都市城壁を建設しており、ここが立派な場所である限りは、商業の中心地・物資の集散地であるだろうが、「水」「火」「内部分裂」という3種の災難があると予言する。 スニーダとヴァッサカーラは、釈迦たちを食事に招待する。釈迦は食事の席で、「清浄行者たちを供養すれば、神霊たちは布施の功徳を振り向ける」旨の詩句を唱える。スニーダとヴァッサカーラは喜び、これから釈迦たちがガンジス川を渡る渡し場を、「ゴータマの渡し」と名付けると述べる。 釈迦たちは、ヴァッジ国へ入るために、ガンジス川を渡る。筏を求めて往来する人々を見て、釈迦は、「橋をかけて渡る人々や、筏を作って渡る人々がいるが、聡明な人々(清浄修行者たち)は既に(彼岸へと)渡り終わっている」旨の感興の言葉をつぶやく。
※この「パータリ村」の解説は、「大般涅槃経 (上座部)」の解説の一部です。
「パータリ村」を含む「大般涅槃経 (上座部)」の記事については、「大般涅槃経 (上座部)」の概要を参照ください。
- パータリ村のページへのリンク