臨時急行「嵯峨野エクスプレス」(梅嵐急行)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/02 16:41 UTC 版)
「阪急嵐山線」の記事における「臨時急行「嵯峨野エクスプレス」(梅嵐急行)」の解説
かつて梅田駅(現在の大阪梅田駅) - 嵐山駅間で運行していた臨時急行である。歴史は古く、戦前から運転を開始し、途中中断したものの戦後になり再開。明確な再開時期は不明であるが、鉄道ピクトリアル2017年4月号の阪急電鉄京都線特集の記事によると、1953年には既に再開していたとの記述がある。 愛称は1992年秋の運転より付けられたものであり、このシーズンのみ「さがのエクスプレス」であったが、早くも翌1993年の春の運転からは「嵯峨野エクスプレス」に変更された。愛称が付けられる前は、起終点のそれぞれ1文字を取って「梅嵐(ばいらん)急行」あるいは単に「梅嵐」とも呼ばれた。 梅嵐急行の運行標識板は1960年代後半頃までは「大阪 臨急 嵐山」と文字だけのものであったが、1970年代に春はさくらを、秋はもみじを模したものに変更され、さらに1981年春の運転からは「大阪」の部分を「梅田」に変更した(1981年3月1日に運行標識板の様式を全面的に改定したことによる措置)。この運行標識板は1992年秋の運転で愛称が付けられた後も運転終了まで継続して使用されていたが、表示幕車には取り付けられなかった。また、愛称が付けられた1992年秋以降は愛称表示板も取り付けられるようになったが、これについては表示幕車にも前面貫通扉下部に掲示されていた(標識板使用車の場合は車掌台側に掲示)。この愛称表示板についても愛称表示開始から2度様式を変更している。 1982年の秋は、桂駅改良工事の影響で、京都本線と嵐山線の直通運転が一時的に不可能となっていたため、梅田駅 - 嵐山駅間の直通急行は設定されず、代わりに梅田駅 - 桂駅間の臨時急行「梅桂(ばいけい)急行」が設定された。運行標識板はもみじを模したデザインではなく「桂 臨急 梅田」という、文字だけのシンプルなデザインのものが使用された。また、梅田駅工事の関係で1966年春の梅嵐急行は十三駅発着で運転され「十嵐(じゅうらん)急行」となったが、同年秋の運転より元の梅田駅発着に戻った。この時の運行標識板は当時の梅嵐急行同様の文字だけのデザインであったが、「大阪」の部分を「十三」に変更していた。 運転最終日は2000年11月26日であった。2001年3月24日のダイヤ改正で行楽ダイヤ設定時に新たに「いい古都エクスプレス」が設定されるなど京都本線で大規模なダイヤ改正が行われたことに伴い廃止となった。 運行形態(2000年11月時点) 梅田発嵐山行き 9 - 11時台 計10本程度嵐山駅到着後は折り返し桂行き普通となり、桂駅到着後は桂車庫へ入庫するか、梅田駅まで回送され再び嵐山行きとして運転されるか、そのまま折り返し嵐山線内を普通列車として往復する、のいずれかである。 嵐山発梅田行き 14 - 17時台 計15本程度…梅田駅到着後は桂車庫または正雀車庫への回送列車となる。 上記はいずれも15分間隔で運転されていた。また、梅田行きは淡路駅で特急を待避していた。 停車駅 梅田駅 - 十三駅 - 淡路駅 - 茨木市駅 - 高槻市駅 - 長岡天神駅 - 桂駅 - 上桂駅 - 松尾駅(現在の松尾大社駅)- 嵐山駅 使用車両 6両編成で運転されており、京都本線の編成を使用していた。
※この「臨時急行「嵯峨野エクスプレス」(梅嵐急行)」の解説は、「阪急嵐山線」の解説の一部です。
「臨時急行「嵯峨野エクスプレス」(梅嵐急行)」を含む「阪急嵐山線」の記事については、「阪急嵐山線」の概要を参照ください。
- 臨時急行「嵯峨野エクスプレス」のページへのリンク