臨時建設部設置とは? わかりやすく解説

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臨時建設部設置

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 23:35 UTC 版)

木曽電気製鉄」の記事における「臨時建設部設置」の解説

福澤桃介名古屋電力との合併成立した名古屋電灯常務辞任していたが、1913年大正2年1月復帰同年9月社長であった加藤重三郎辞任する社長代理となり、翌1914年大正13年12月には後任社長に就任した木曽電気製鉄前身たる臨時建設部が名古屋電灯社内設置されたのは、福澤社長代理となった後の1914年2月1日のことである。当初主任以下計4名という小さな組織であり、木曽川開発実施向けた調査担当した大正初期名古屋電灯は、長良川八百津発電所完成により供給力余剰生じ大口需要家獲得奔走するという状況にあった1914年10月には、福澤発案により余剰電力5,000キロワット利用した事業検討行っている。こうした供給過剰状況は、1914年第一次世界大戦勃発して大戦景気背景電力需要急増する解消され一転して供給力不足するうになる供給力確保のために火力発電所熱田発電所1915年9月運転開始)や八百津発電所放水落差活用した放水口発電所1916年5月運転開始)の建設を緊急対策として実施したが、1917年大正6年上期時点では水力火力あわせて1万8,000キロワット供給力をほとんど消化する状況で、実業界活況からさらに3キロワット近い新規需要想定されていた。 こうした状況にあった1916年大正15年2月臨時建設部は部内総務電気土木の3課を置いて組織拡充し水力開発実行に移す。まず手がけたのは木曽川賤母発電所矢作川串原仮発電所である。次いで木曽川大桑発電所建設にも着手した

※この「臨時建設部設置」の解説は、「木曽電気製鉄」の解説の一部です。
「臨時建設部設置」を含む「木曽電気製鉄」の記事については、「木曽電気製鉄」の概要を参照ください。

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