背景としてのオーストリア現代史
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/22 20:11 UTC 版)
「愛の嵐 (映画)」の記事における「背景としてのオーストリア現代史」の解説
主人公マクシミリアンの人生はオーストリア現代史を体現している。オーストリアは1942年の時点で、国民のおよそ10 %にあたる68万8478人がナチ党員であった。その比率はドイツ側の7%を大きく上回る。この数値からオーストリア国民のナチ政策への加担は極めて大きかったことがわかる。彼らの一部は親衛隊に志願し、ユダヤ人の摘発、移送や東方のドイツ占領地域にあった強制収容所管理業務等において重要な役割を果たしていた。ユダヤ人迫害の責任者になったアイヒマン親衛隊中佐はオーストリアで育っている。彼は部下たちの大部分をオーストリア人からリクルートしていた。 オーストリア人親衛隊将校だったマクシミリアンの配属先は強制収容所だった。戦後、マクシミリアンはカール・マルクス・ホーフと呼ばれる左翼向け集合住宅に住み、親衛隊員としての過去を隠蔽して暮らしている。この映画に何度も出てくるカール・マルクス・ホーフは、第1次世界大戦後、オーストリア社会民主党がウイーン市政を支配していた時期に建設された社会主義労働者向けの集合住宅であり、赤いウィーンと呼ばれた時代の代表的建築物である。この巨大な集合住宅は映画の背景になっていると同時にオーストリア社会の持つ二重性も示している。映画の舞台になっている1958年は、オーストリアが戦後独立して再出発した頃である。平和を愛する中立国家を看板にしたオーストリア社会民主党とオーストリア国民党の連立政権がスタートしており、ナチス支配下の時代を忘却しようとしている。しかし、実際はこの映画に出てくるように、ナチスに積極的に加担し、戦後社会の片隅で身を潜めて暮らす元親衛隊員たちが大勢いたのである。この映画が製作された1974年の頃はまだオーストリアでは「犠牲者論」が主流で、加害者としてのオーストリアが語られることは少なかった。この映画への反発が公開当時に強かった背景にはこのような事情があった。ナチスに積極的に加担したオーストリアの実像が本格的に語られ始めるのは、1986年のクルト・ヴァルトハイム大統領選出前後からである。 この映画において、主人公マクシミリアンをはじめとして元ナチ党員たちが孤立せずに、横のつながりを持ちながら生きていることが描かれている。事実、オーストリアの元ナチ党員たちは強固な横の結束を保ち、彼らの利益を代表する政党であるオーストリア自由党を持つに至る。この党は国政選挙においても一定の支持を集め、2006年において17.54%の得票率を得て第3党になっている。隣国ドイツでも極右で且つナチズムと繋がりの深いドイツ国家民主党は存在しているが、オーストリアのように国政選挙において議席を獲得出来る程の支持を集めてはいない。極右はドイツよりもヒトラーの母国であるオーストリアで強い支持を得ている。
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