背景としてのナタリスト政策
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 06:01 UTC 版)
「ルーマニアの孤児」の記事における「背景としてのナタリスト政策」の解説
ニコラエ・チャウシェスクの政権下では、中絶と避妊がいずれも禁止されていた。チャウシェスクは、人口増加が経済成長につながるとの考え方をもっており、1966年10月、法令第770条 (Decree 770) と呼ばれる法律が制定された。これは、母親が40歳を超えているか、既に4人の子供を育てている場合を除いて、中絶を禁止するというものであった。この法律により、出生率は、特に1967年から1969年にかけて、大きく上昇した。1977年までには、子供のいない人々に対して税が課されるようになった。この時代に産まれた子供たちは、「decreței」(ルーマニア語で「法令」を意味する「decret」を指小辞としたもの)と呼ばれる。出生率の急増は、結果的に多くの捨て子を生み出した。彼らは孤児院に送られ、施設は障害や精神病を患った者たちであふれた。また、孤児たちはネグレクト、身体的虐待、性的虐待、行動をコントロールするための薬物使用の危険などにさらされた。
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