背景での逆風
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/10/15 14:07 UTC 版)
「ソ連の有人月旅行計画」の記事における「背景での逆風」の解説
1970年代を境に、下り坂になり停滞期に入った共産党独裁体制下での国家財政で計画を継続させる困難さが増大していったことの他、「チーフ・デザイナー(主任設計員)」と呼称され、「宇宙旅行の父」であるコンスタンチン・ツィオルコフスキーの後継者も同然、或いは旧ソ連宇宙開発の父とも呼ばれたセルゲイ・パヴロヴィッチ・コロリョフの夭折(1966年1月 結腸癌の治療手術中に起きた事故で死去)、彼の技術的政敵(ヴァレンティン・グルシュコ、ウラジミール・チェロメイ)との確執、後継者(ワシリー・ミーシン)の力量不足など、多数の障壁が明らかになっているが、中でも「ソビエト版サターン・ロケットとも言える肝心の超大型運搬ロケット「N1」の開発・実用化にとうとう至らなかった」ことが計画を頓挫させた最も大きな要因とされている。
※この「背景での逆風」の解説は、「ソ連の有人月旅行計画」の解説の一部です。
「背景での逆風」を含む「ソ連の有人月旅行計画」の記事については、「ソ連の有人月旅行計画」の概要を参照ください。
- 背景での逆風のページへのリンク