背景としての都市と農村の二重構造
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/04 06:21 UTC 版)
「民工」の記事における「背景としての都市と農村の二重構造」の解説
中国においては、都市(城鎮)と農村(郷村)、都市住民(居民)と農民(農民)という法体系上の差別が存在している。中華人民共和国憲法は、法の下の市民の平等を規定しているが、実際には都市と農村との間に大きな格差が存在しており、都市と農村という二元的な管理構造が中国社会の大きな特徴となっている。国有企業が計画経済体制のもとで活動していた1980年代半ばまで、都市労働者については、一律いわゆる「固定工」システムがとられ、学校を卒業すれば、国から職が行政的に分配され、基本的に定年までその職場で勤務した。いわば、都市労働者の就業は基本的に国によって保障されていたのである。職場は生産組織として「労働=報酬」という単純な経済的機能にとどまらず、都市住民の生活基盤にかかわる包括的な機能を果たした。それは国家による国民把握のための基本単位ともなり、文字通り「単位(ダンウェイ)」と呼ばれた。「単位」は各種生活物資や住宅の配給、医療・年金などの社会保障、食堂・浴場・保育園・学校・商店・理髪店・娯楽施設などの社会サービスを従業員に提供し、ゆりかごから墓場まで「単位」が面倒みる社会が実現した。都市住民に対するさまざまな社会保障制度は、食いっぱぐれがないという意味で「鉄飯碗」(割れない茶碗)と形容された。このシステムが実現可能だったのは、農村からの人口移動を戸籍制度によって厳しく制限し、都市を閉じられた空間にできたからである。大都市を中心に発達した工業は、ごく一部を除き国有化され、そこで働く労働者は国営企業の従業員として、公務員に準ずる待遇を得た。これに対し建国直後の毛沢東の土地改革によりいったんは農民の私有とされた土地が、1950年代半ばの農業集団所有化によって集団所有へと移行したため、農村では集団所有制が所有制の基軸を形成した。そして、集団所有のもとにおかれた農村住民に対しては、自給自足を前提にして、社会保障制度の対象から外され政府からの十分な保護を受けることができなかった。それでも経済的に恵まれた少数の人民公社は集団所有制のメリットを発揮して互助的な生活環境を維持できたが、大半の人民公社は厳しい貧困に直面していた。このように、都市と農村、都市住民と農民という差別は、所有制による差別を基礎に成立しているともいえる。
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