総選挙への出馬と落選
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 09:03 UTC 版)
2005年8月16日、いわゆる「郵政解散」に伴う総選挙において、自由民主党から福岡1区での立候補を打診されたが、出馬するかどうかは未定であるとした。一方、民主党(当時)の岡田克也代表(当時)とも会談を行うが、同党からの立候補は見送られた。 自民党内からは堀江の擁立に対する批判が相次いだほか、堀江が自民党の説得に応じず、ライブドアの社長を辞めないことを表明。堀江は無所属として、郵政民営化反対の急先鋒であり、当時自民党を離党し国民新党を結党した亀井静香の選挙区である広島6区(尾道市、三原市など)で立候補すると発表した。前述の経緯により名目上は無所属候補であったが、立候補の記者会見を自民党本部で行っていたこと、広島6区で自民党・公明党が候補を擁立しなかったこと、武部勤自民党幹事長(当時)や竹中平蔵経済財政政策担当大臣(当時)など自民党大物幹部が堀江の応援演説に訪れていたことから、自民党による亀井への対立候補として世間から認知されるようになった。武部はこの際、「我が弟です、息子です」と堀江を持ち上げた。対立候補の当事者であり「刺客」という言葉を最初に用いていた亀井は、堀江について「自民党の刺客が自民党を名乗らない。忍者かね」と批評した。 2005年9月6日には、東京都内の日本外国特派員協会講演で「憲法が天皇は日本の象徴であると言う所から始まるのは、はっきり言って物凄く違和感を覚える」「歴代の首相、内閣、議会が変えようとしないのは多分、右翼の人達が怖いから」「インターネットの普及で世の中の変化のスピードが速くなっているから、リーダーが強力な権力を持つ大統領制にした方が良い」と言う天皇を否定するとも取れる発言が物議を醸し、選挙特別番組でも亀井が「自民党が天皇を否定するような人物を擁立すべきでない」と述べ、自民党幹事長代理の安倍晋三などに対し不満を漏らした。 選挙の結果としては、亀井の地盤である広島6区では厳しい選挙戦を強いられ、公明党支持者からの票を得るために「比例は公明党に」と連呼までして終盤で追い上げたが、結局は亀井静香11万票に次ぐ8万4千票で落選した。民放の開票速報番組で、「比例は公明」と訴えていたことについて丸山和也(のちの参議院議員)に真意を尋ねられると、「公明党は改革を支持している政党だから」と発言した。 落選後、今後の衆院選で同じ広島6区から出馬する意向を示唆していたが、翌年の証券取引法違反事件で自身が東京地検に逮捕されたことにより、4年後の2009年8月の総選挙には出馬しなかった。また2010年の参議院選挙ではかつての対立候補であった亀井静香より国民新党からの出馬を打診されたが辞退している。
※この「総選挙への出馬と落選」の解説は、「堀江貴文」の解説の一部です。
「総選挙への出馬と落選」を含む「堀江貴文」の記事については、「堀江貴文」の概要を参照ください。
- 総選挙への出馬と落選のページへのリンク