絹本著色不動明王三童子像〈(伝願行筆)/〉
主名称: | 絹本著色不動明王三童子像〈(伝願行筆)/〉 |
指定番号: | 1061 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1908.01.10(明治41.01.10) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 鎌倉時代の作品。 |
絹本著色不動明王三童子像
主名称: | 絹本著色不動明王三童子像 |
指定番号: | 1854 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1985.06.06(昭和60.06.06) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 我が国の不動明王像は、平安時代初期に請来された、儀軌に基づかぬ形式と、平安時代後期に成立した、儀軌に従ったいわゆる十九観系の形式とに大別されるが、本図は後者の例である。倶利迦龍剣を加えるのもそれにそっているが、三童子を配するのは、十九観に二童子を説くのと異なり、本図の最大の特色であろう。三童子は、まず円珍請来様五大尊像の不動明王三大童子五部使者像に見られ、鎌倉時代初期頃の図像「不動明王三童子像」(仁和寺)や「倶利迦三童子像」(石山寺)にも表されるが、本図と像容の類似するものは見いだされず、また『白宝口抄』には三童子を記載して矜羯羅・制〓迦の他に蓮華童子を挙げるが、典拠は明らかでない。ともあれ本図は図像的に珍しい遺品である。 表現は、多少肥痩を含んだ描線と暈しを用いた彩色とが調和を示し、獅子丸文等種々の文様を截金を全く使用せず彩色で精細に表すのが特徴的である。複雑な岩組や飛泉などの背景描写も丁寧で見るべきものがあるといえよう。総じて古様な表現であるが、衣文線や皴擦にやや固さがあるように見受けられ、製作年代は鎌倉時代の前半期とすべきかと思われる。 保存状態は良好とはいい難いが、欠失や補筆は意外に少なく、製作の質の点でも、遺品の多い不動明王画像の中で独自の価値を有する作品といえる。 |
絹本著色不動明王三童子像
主名称: | 絹本著色不動明王三童子像 |
指定番号: | 1900 |
枝番: | 00 |
指定年月日: | 1990.06.29(平成2.06.29) |
国宝重文区分: | 重要文化財 |
部門・種別: | 絵画 |
ト書: | |
員数: | 1幅 |
時代区分: | 鎌倉 |
年代: | |
検索年代: | |
解説文: | 縦三メートル近い大幅の不動明王画像である。波の荒立つ海中の岩坐に立つ不動明王を中央に描き、その向かって左側に倶利迦羅龍王、不動の下方両側に寄り添うように立つ三人の童子を表している。 不動明王には、矜羯羅【こんがら】、制〓迦【せいたか】の二童子が伴うものが最も多いが、亮禅撰『白宝口鈔【びやくほうくしよう】』(鎌倉時代後期)には、不動明王の眷属としてこの二童子のほか、蓮華童子をあわせた三童子が説かれており、作例では、五坊寂静院本、楞厳寺本、萬徳寺本(いずれも重要文化財)が知られ、『白宝口鈔』以前にも、白描図像の仁和寺本(重要文化財)、石山寺本倶利迦羅三童子図像がある。 本図の描写では、肥痩の強い雄渾な墨線で表された衣文線や、金泥で描かれた鮮麗な着衣の文様などが目をひく。このような表現は、鎌倉時代後期から南北朝時代の作品にしばしばみられるが、本図の制作期は、その間にあって、鎌倉時代後半に置かれよう。 文永、弘安の役に際して、全国の寺院で不動明王を本尊とする仁王経法や不動法が修されるなど、蒙古調伏を目的とする不動信仰の高揚がみられることを考えると、本図のような大幅画を生む動機がそこにあったことを想像することも可能であろう。 比較的保存の良好な大幅画である点もさることながら、不動明王の正面を見据えた迫力ある描写や、火炎頭髪、不動明王の持つ羂索などを靡びかせ、強い風をあらわす動的な表現など、その筆技には優れた点がうかがえる。 なお、表具裏および箱蓋裏には、昭和七年に、長崎の「某家」にあった本図を、有志者八人が醵金して清水寺に寄進した旨が記されている。 |
絵画: | 絹本著色不動明王三大童子五部使者像 絹本著色不動明王三童子像 絹本著色不動明王三童子像 絹本著色不動明王三童子像 絹本著色不動明王二童子像 絹本著色不動明王二童子像 絹本著色不動明王二童子像 |
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