結核進行の前兆とは? わかりやすく解説

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結核進行の前兆

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/14 02:46 UTC 版)

梶井基次郎」の記事における「結核進行の前兆」の解説

1920年大正9年5月発熱し肋膜炎診断受けた次郎大阪実家帰った。4か月休学届を出し6月病床小説読み耽った7月落第決定し8月初旬から姉夫婦(共に小学校教諭)の住む三重県北牟婁郡船津村上里(現・紀北町)で転地療養し、熊野にも行った。基次郎は、山里素朴な自然の生活の中で自身の〈町人根性〉を反省したり、寮歌作詞をしてみたりした。 9月に、馬車行った尾鷲市医者肺尖カタル診断され1年休学するように言われたが、重い病状でなく、獲りやメーテルリンクの『貧者の宝』を読んだりした後に実家帰った堂島回生病院でも肺尖カタル診断され、母からも学問諦めるように通告された。納得できない次郎友人に〈気楽なことでもして、生活の安固をはかれ、といふ母はふんがい堪えん〉と訴えた生命がある以上は各自天稟仕事がある筈だ それに向つて勇往邁進するのみだ。生命を培ふといふ事が万一仕事枯らすといふ事を意味するなら死んだ方が優しだ。罪の多い生活をつないで行つて自然に死ぬまで待つ位ならぶつーとやるかずどんとやる方がいい。 — 梶井基次郎宇賀宛て書簡」(大正9年9月30日付) 10月、基次郎両親説得休学を一旦覚悟し、父と一緒に淡路島岩屋西宮海岸療養地へ下宿先探しに行くが、両親意見合わず学校戻りたい訴えた11月から思いきって京都戻った次郎は、矢野潔の下宿泊った後、寄宿舎戻って復学し日記書き始めた哲学者西田幾多郎を道で見かけたのを機に図書館雑誌藝文掲載西田の「マックス・クリンゲルの『絵画線画』の中から」などを読んだ。 基次郎は、エンジニア理科の先生になるという初心目標に立ち返ろう考え北野中時代からの同級優等生との友情優先し文学をやれと勧めていた無頼派悪友中谷孝雄距離を置くようになっていたが、この頃中谷と街で偶然出くわし、奥村電機商会で働く平林英子従妹だと紹介された(実際恋人)。 夏目漱石の『文学論』、西田幾多郎の『善の研究』に関心寄せウィリアム・ジェームズ心理学影響受けたとみられる次郎は、12月に、自分自分自身誇れるような人間になることを決意した森鷗外が『青年』の中で漱石エゴイスト批判していたことに憤慨したり、北野中時代惹かれ美少年桐原真二の体に接吻する甘美〉な夢を見たことを日記記したりした。

※この「結核進行の前兆」の解説は、「梶井基次郎」の解説の一部です。
「結核進行の前兆」を含む「梶井基次郎」の記事については、「梶井基次郎」の概要を参照ください。

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