築港工事と赤レンガ倉庫の建設とは? わかりやすく解説

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築港工事と赤レンガ倉庫の建設

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/15 00:41 UTC 版)

横浜赤レンガ倉庫」の記事における「築港工事と赤レンガ倉庫の建設」の解説

赤レンガ倉庫新港埠頭保税倉庫)は、明治時代終わりから、大正時代初めにかけて建設された。 当時横浜港は、1859年安政6年)の開港から半世紀経て近代的な港湾整備横浜市にとって急務となっていた。1889年明治22年)には第1期築港工事始められ大桟橋東西防波堤などの整備進められた。これに続く1899年明治32年)には、横浜税関拡張工事名目大蔵省主導して第2期築港工事始められた。 第2期築港工事は、前期後期分かれる前期工事は、税関前の海面埋め立てて、係船岸壁有する埠頭建設を主に進めた係船岸壁とは船が直接接岸できる岸壁で、その建設日本初試みであった1905年明治38年)には埋立完了したが、同年より引き続いて始められ後期工事埠頭拡張陸上設備上屋倉庫鉄道道路)の整備目指した。赤レンガ倉庫後期工事の中で、国営保税倉庫として建設された。後期工事には、日清戦争後急伸し東洋最大の港となっていた神戸港大阪港対抗するため、横浜市も約270万円費用負担して築港完成急いだ。これは横浜市が国に働きかけ実現させた事業であり、国と地方共同事業嚆矢となった赤レンガ倉庫設計は、妻木頼黄部長率い大蔵省臨時建築部によって行われた妻木頼黄は、馬車道にある横浜正金銀行本店(現、神奈川県立歴史博物館)の設計もした、明治建築三巨頭一人である。2号倉庫1911年明治44年)、1号倉庫1913年大正2年)に竣工した第2期築港工事1914年大正3年)までに完成し、ここに税関埠頭現在の新港埠頭生まれた全長150メートル背面鉄骨造ベランダ持ち日本初業務用エレベーター避雷針消火栓備え赤レンガ倉庫は、国営保税倉庫建築模範となるとともに、組積造技術の最高段階を示す建築とされる2号倉庫レンガレンガの間に入れ補強施されていたことで、1923年大正12年)に発生した関東大震災でも、被害1号倉庫の約30%損壊とどまった。なお、当時エレベーターは現在も1号館横に展示されており、重要科学技術史資料登録台帳に第00027号として登録 されている。

※この「築港工事と赤レンガ倉庫の建設」の解説は、「横浜赤レンガ倉庫」の解説の一部です。
「築港工事と赤レンガ倉庫の建設」を含む「横浜赤レンガ倉庫」の記事については、「横浜赤レンガ倉庫」の概要を参照ください。

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