第2次戦時標準船
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/20 08:35 UTC 版)
増大する船舶被害に造船が追いつかなくなり、建造期間の短縮および資材の節約を目的として第2次戦時標準船が建造されることとなった。 ブロック工法も用いて約1ヶ月で建造が可能な2E型が東京造船所・播磨松の浦・三菱若松・川南深堀の 4造船所を中心に419隻生産された。二重底や隔壁の廃止、簡略化のため抵抗が大きく、速力や燃費の面で不利な船型、故障しやすい低出力の機関により、カタログスペック上でも7から8ノット程度しか出ない上に、燃料の粗悪によりそれ以下の低速しか発揮できないことも多く、潮流の早いところでは流されて座礁することすらあり、粗悪な鉄板が使われるなど、粗製濫造といわざるを得なかった。 第2次以降に建造された戦時標準船の耐用年数は、すぐに撃沈されるだろうという想定から「機関1年・船体3年」とされ、鋼材の質の低下や舷側鋼板の薄肉化により強度が低下し、座礁しただけで大破沈没した船舶や、ボイラーの爆発など重大事故を起こした船舶もある。「轟沈型」とのあだ名さえあった。なお、これらの第2次戦時標準船は終戦時に残存していた船舶のおよそ4分の3を占めていたが、あまりの粗製乱造ぶりに驚いたGHQによって運用を禁止され、一部の大型船を除いて、戦後の復員輸送には一切使われなかった。残った船の中にも、煙突や上構を全て撤去して新造し、機関を換装するなどの改装が施された。 2A型(6,600トン、三連成レシプロor蒸気タービン、レシプロ9.0ノット・タービン10.0ノット、13.0ノット) 1A型と1B型を統合したものとして三菱重工業長崎造船所で設計され、101隻が建造された。うち、建造中止船が1隻ある。 2D型(2,300トン、レシプロor蒸気タービン、9.0ノット、11.0ノット) 1C型と1D型を統合したものとして日本鋼管鶴見造船所で設計され、戦後に完成したものや、箕面等海軍籍の2隻を含めて126隻が建造された。うち、建造中止船が30隻ある。30tデリックを1基、5基の5tデリックを搭載している。 2E型(870トン、ディーゼルor焼玉orレシプロ、ディーゼルor焼玉8.0ノット・レシプロ7.5ノット、ディーゼルor焼玉9.0ノット・レシプロ8.8ノット) 1E型と1F型を統合したもので、新設の小造船所でも量産できる海上トラックとして浦賀船渠で設計され、3E型や戦後に完成したものを含む419隻が建造された。専用の建造造船所まで作られ、デリックの有無、機関の違いにより複数のバリエーションがある。 2TL型(10,100トン、蒸気タービン、13.0ノット、15.0ノット) 1TL型と1TM型を統合したもので、三菱重工業長崎造船所で設計され、33隻が計画され、27隻が完成した。うち、特2TL型へ2隻が計画変更され、4隻が建造中止となった。輸送効率の観点から1TL型と同じ大きさとなったが、造機能力の不足により速力が低下したため、艦隊随伴給油用としては考慮されなかった。 2TM型(2,820トン、蒸気タービン、9.5ノット、11.5ノット) 1TS型の後身、パレンバンとシンガポールの間の油輸送を目的として三菱重工業横浜造船所で設計され、戦後に完成したものを含め40隻が建造された。 2AT型(6,600トン、三連成レシプロor蒸気タービン、レシプロ9.0ノット・タービン10.0ノット、13.0ノット) タンカーの不足により2A型を転用した応急タンカーで、三菱重工業長崎造船所で設計され、34隻が建造された。 2ET型(870トン、ディーゼル、7.0ノット、9.6ノット) 2TM型の生産が追いつかないため、2E型を転用した応急タンカーで、播磨造船所で設計され、3ET型や戦後に完成したものを含めて165隻が建造された。
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