第二次三星時代
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2012年 2011年12月5日、古巣の三星ライオンズと契約期間1年、契約金3億ウォン、年俸8億ウォンで契約した。背番号は永久欠番だった36に決定。シーズン56本塁打を記録した2003年以来、9年ぶりの韓国プロ野球、三星復帰となった。 4月7日、本拠地・大邱での開幕戦に3番指名打者で先発出場。4月15日のネクセン戦で、三星復帰後の初本塁打を記録した。5月8日のロッテ戦で韓日通算2000本安打を、更に7月29日のネクセン戦で韓日通算500本塁打を達成した。同年は3割21本塁打を記録し、韓国シリーズMVP(最優秀選手)に選ばれ優勝に貢献した。 2013年 第3回WBC韓国代表に選ばれ、北京オリンピック大会以来およそ4年半ぶりに代表復帰した。1戦目では代打だったが、2戦目と3戦目では3番でスタメン出場して3試合で計10打数4安打と活躍したが、チームは初戦の対オランダ戦の大敗が響いて第1ラウンドで敗退した。 シーズンにおいては、6月15日、NCダイノス戦で梁埈赫の保持する韓国プロ野球通算本塁打数記録に並ぶ351本目の本塁打、6月20日、文鶴野球場でのSKワイバーンズ戦で352本目の本塁打を尹喜相から放って記録を更新したが、前年より成績を下げて終えた。 2014年 長打・巧打において精彩を欠いた前シーズンとはうって変わって、チーム最多の32本塁打(KBO単独4位)、101打点(同5位タイ)を記録し、打率も3割を超えた。当シーズンで38歳を迎えるベテランとしてチームを牽引し、三星の韓国シリーズ4連覇に貢献した。 2015年 6月3日、浦項野球場でのロッテ・ジャイアンツ戦で、 具昇旻から韓国プロ野球史上初の個人通算400号本塁打を達成。 2016年 4月2日、大邱サムスン・ライオンズ・パークでの斗山ベアーズ戦で、 柳煕寛から同野球場で三星ライオンズの選手としては初の本塁打を記録。8月24日、大邱サムスン・ライオンズ・パークでのSKワイバーンズ戦で、 金廣鉉から梁埈赫を抜いて韓国プロ野球新記録となる個人通算1390打点を記録。9月7日、大邱サムスン・ライオンズ・パークでのKTウィズ戦で、李昌宰から韓国プロ野球では史上8人目となる個人通算2000安打を達成した。 9月14日、ハンファ戦で24号本塁打を放ち、日韓通算600本塁打を達成した。 2017年 5月21日、ハンファ・イーグルス戦で韓国プロ野球史上初の個人通算450号本塁打を達成した。 10月3日、大邱サムスン・ライオンズ・パークでの引退試合に出場。2打席連続本塁打で自身の持つ韓国プロ野球通算本塁打記録を467に伸ばし、現役生活を終えた。
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第二次三星時代
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2001年オフ、古巣三星に復帰した。 2007年6月には韓国史上初の個人通算2000本安打を達成し、当時の打席、四球など複数の部門における韓国プロ野球個人通算記録保持者ともなった。 だが、2008年は負傷以外でプロ入り後初めて2軍降格を経験し、連続2桁本塁打も15年で途切れる。 2009年4月14日のハンファ戦で、通算340号本塁打を記録し、張鍾熏(チャン・ジョンフン)の個人通算本塁打記録に並んだ(現在の記録保持者は李承燁)。しかし、その直後故障で2軍降格。故障から復帰した5月9日のLGツインズ戦で341号本塁打を記録して、張鍾熏を抜いて韓国プロ野球の個人通算最多本塁打記録者になった。さらに7月14日の斗山ベアーズ戦で、史上初の通算350号本塁打も達成した。 40歳となり、2009年は故障もありプロ17年間で初めて出場試合数が100を切り、規定打席にも達せず100安打未満に終わった。 1966年生まれの宋津宇などの引退で、41歳となった2010年には韓国プロ野球界最年長選手となった。 2010年6月3日の起亜戦で、通算試合出場数を2112に伸ばし、金敏宰を抜いて通算出場試合の最多記録を更新した(現在の記録保持者は鄭成勲)。7月24日のオールスター戦にも41歳で出場し、最年長出場記録を更新しただけでなく3点本塁打まで打ちファンたちを大いに興奮させた。 7月26日、同年限りでの現役引退を発表し、9月19日大邱市民運動場野球場で盛大な引退試合が行われ、背番号10は三星の永久欠番となった。
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第二次三星時代
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