第一節 総説
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/26 10:11 UTC 版)
奈良時代の国語の音韻の問題の一つは、清濁を区別していたかである。本居宣長は古事記の仮名が清濁を正確に一音一字に書き分けており、また万葉集の仮名の清濁も書き分けているという見解を示した。しかし、それでも清濁混淆はしばしば見いだされる。日本書紀の仮名に至っては、多くの混淆例が認められるとした。ここでは、その日本書紀の字音仮名の清濁混淆の問題について論じる。結論を先に述べると、古事記に迫るほど明瞭に区別されていることが確認されたのである(違例率1%強)。 近世初期にはイエズス会士たちが日葡辞書や日本大文典などのキリシタン版を書き残したが、その大部分の語の清濁が今日の音韻と一致する。遡って院政時代には類聚名義抄が書かれ、アクセントと清濁を示す符号が付されており、やはり大部分の語の清濁が今日の音韻と一致する。更に遡って平安中期には金光妙最勝王経音義(1079年)が書かれ、いろは歌と並んで別に濁音字として二十の仮名を挙げている。しかも、その訓注においては「古」「己」のような上代特殊仮名遣の甲類乙類が使い分けられ、奈良時代の姿を留めている。以上から、少なくとも平安時代以降の日本語は、清濁は明らかに区別されていたが、仮名書きは必ずしも清濁を区別しなかったことがわかる。問題とされる奈良時代における清濁の問題についても、古事記の仮名を見ると清濁は明瞭に使い分けられ、混淆は極めて稀か、あるいは文献的、音声学的に説明可能な類型が存在する。その清濁の区別は、平安、室町、現代の区別とほとんど対応している。では、日本書紀の場合はどうだろうか。 従来、日本書紀の字音仮名において清濁混淆が甚だしいとした見解は、以下の点を見落としていたためと考えられる。古事記・万葉集の字音は、揚子江下流域の南方系の呉音である。これに対し、日本書紀の字音は、北方系の漢音である。この違いは、例えば「凱」「愷」「該」「穊」は呉音ではガイであるが、日本書紀ではケ(乙類)であることに対応する。別の例を見ると、「時」「璽」「辞」は呉音ではジであるが、日本書紀ではシである。院政時代の僧、明覚は悉曇要訣において、「陁」の音は漢音なら「タ」であり、「ダ」ではないことを述べている。これは日本書紀における「陁」の用法と一致する。つまり、一見清濁混淆の例のように見えるが、実は呉音(南方系)と漢音(北方系)の違いなのである。その事情は以下のとおりである。日本書紀持統天皇五年に音博士続守言、薩弘恪が来朝し、また続日本紀称徳天皇神護景雲元年に音博士袁晋卿が来朝した。これら大唐の学者たちは、当時の都が存在した北方音を正しい音韻として教授し、すでに日本で普及していた古い南方系の呉音を排斥したであろう。日本書紀は盛唐に対して威儀を正して向かい合う意味を込めて編纂されたものであるから、大唐の都において行われる音韻を採用したであろうことは想像に難くない。また当時、朝廷は僧侶たちに新しい漢音を学習すべき旨を示し、正音を学習しないものは得度せしめないとしていた事情も考慮されるべきである。しかし、古来より受け入れられてきた南方音はすでに深く浸透していたため、新しく輸入された漢音は結局仏典の誦習や漢籍の字音などにのみ限定的に普及したものと考えられる。そのため古事記では呉音を用い、万葉集や戸籍帳、仏足石歌などの仮名もまた呉音に基づくものなのだろうと推察される。
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