第一篇 リリパット国渡航記
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「ガリヴァー旅行記」の記事における「第一篇 リリパット国渡航記」の解説
1699年5月4日 - 1702年4月3日 リリパット国とブレフスキュ国は、ガリヴァーによる空想の冒険譚の第一篇に関わる国々である。両国は、南インド洋にあり、約800ヤード(約732メートル)の海峡を挟んで隣接している。両国の全国民は、身長が常人の1/12ほどの6インチ以下の小人で(人ばかりではなく動植物、建物などもそれに見合った大きさ、例えば牛や馬も4-5インチの背丈)、彼らの関心事も小さく取るに足らぬものであるが、スウィフトの時代の典型的なイギリス国民のように、道徳には公正であり、神を畏れ、正直である。 リリパット国の社会と政治体制は、18世紀のイギリス(グレートブリテン王国)を表現している。イギリスと同様に、トーリー党を表す「高踵党」と、ホイッグ党を表す「低踵党」の2つの政党が存在する。 リリパット国は、2世代にわたり隣国のブレフスキュ国と交戦下にある。ブレフスキュ国にフランスを表現させることで、スウィフトは当時のイギリスとフランスの国際上の関係を示したのである。リリパット国とブレフスキュ国の戦争の理由は、「卵の殻の正しいむき方は、大きな方から剥くか、それとも小さな方から剥くか」についての意見の違いに由来する。 ガリヴァーは、小さなリリパット国民にとっては巨人であるが、自分を縛めから解放しようとしたり、リリパット国民を殺戮しようとは試みない。歓待を受けたことで、リリパット国を防衛する義務を感じたガリヴァーは、ブレフスキュ国の艦隊を拿捕することで戦争を解決する。まだ第二次百年戦争の開始から年数を経ていない18世紀の世界において、イギリスとイギリス海軍の役割をスウィフトは理想化していたのだと考えている者[誰?]もいる。 リリパット国の皇帝は、ブレフスキュ国をリリパット国の属領にしようと目論むが、ガリヴァーはブレフスキュの国民を殺戮することを拒絶する。この行為と、宮殿の火災を放尿で消し止めた事実が組み合わさって、リリパット国の皇帝はガリヴァーの目を潰し、政府により人道的かつ慈悲深い刑罰とみなされた、餓死か毒殺の刑罰をガリヴァーに科そうと企てる。これを知ったガリヴァーは、ブレフスキュ国に逃れ去り、転覆したボートが浜に打ち寄せられているのを見付けて、イギリスに帰国する。 この篇において、リリパット国とブレフスキュ国の戦争は、ヘンリー8世の行った処刑や追放刑により始まったイングランド国教会とカトリック教徒の諍いに基づいている。卵はカトリック最高の祝日である復活祭のシンボルとして、キリスト教やキリスト信仰を表している。「卵の大きな方」はカトリック教徒を表しており、「卵の小さな方」は国教徒を表している。いさかいの原因を嘲笑することによって、聖書の解釈の仕方は幾通りもあることをスウィフトは示しつつ、この記述は些細な出来事が大きな闘争に発展する状況を風刺している。
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