私有コンテナとしての登場経緯
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/07 05:55 UTC 版)
「日本のコンテナ輸送」の記事における「私有コンテナとしての登場経緯」の解説
私有コンテナとしての第一号は、20フィート形10t級ドライコンテナの屋根を完全に取り払い、代わりに幌を掛けて真上からクレーン等でも荷役が出来る箱形として、1970年10月に当時の国鉄により、西岡山駅 - 隅田川駅間で初めて私有コンテナの輸送が開始された時にさかのぼる。登録企業は国鉄時代の登録と言う時代背景もあり、旧式によるコンテナ形式の付与により、日本通運が UM5-1 として、また同時に福山通運からは特殊事情により、大口契約ユーザーとしてUM5-1001 と言う、いわゆる『1000番台分け』となった二社より登録された。このために正式な第一号登録となったのは、文献によっては日本通運あるいは、福山通運などと分かれている。またこの二社に続き、1973年10月までの3年間にさらに複数の企業から全て箱形として UM5-1 - 57 及び、福山通運専用として UM5-1001 - 1112 までの合計169個が、箱形タイプとして集中的に登録された。しかし、その後の需要減退と物流事情の大きな変化により、1987年の中ごろまでの長期に渡り新規登録が途絶え、それまでに登録された固体も新しいものでも約14年ほど経過している為に、次々と廃棄されて行った。その後、財政難にあえぐ国鉄末期の1987年に入り、民間資本のコンテナと言えども輸送効率を上げる事の重要性が高まった。特に片道輸送になりやすいこの無蓋コンテナの効率の良い往復輸送を目指すために、それまでの10t級における箱形一辺倒の登録にこだわらず、トラックの平荷台のような構造をした多彩な貨物が輸送出来る新型コンテナが、日本フレートライナー所有で14年ぶりに UM5-58 番として、まずは試作的に一個のみ登場した。なお、続番は同タイプの一部改良型が20個登録されている。(詳しくは、#段積み返回送雑貨用タイプを参照。) これらの10t級登場に遅れる一年後の1971年、5t級の UM1形無蓋コンテナとして、箱形ではなく10t級の末期に登場した『平荷台』タイプが、石川島播磨重工により自社製品の製造用素材輸送用として、UM1-1 - 27 番までの27個が初登録された。その後、同社増備分の箱形で二個及び、久留米運送より60個の箱形が、連番で登録された。しかし、一転して特殊化学製品の三塩化チタニウムや、アルキルアルミニウム専用容器の専属輸送用に『平荷台』タイプが再度、1 - 10年ほどの間隔で複数回に分けて、UM1-90 - 118番までが登録され続けた。その後、需要低迷などによりこれらの言わば、専属的に登録された以外では、同タイプで日本フレートライナーから車輪輸送用として119番が登録されるも、以後は全て新会社となったJR貨物により新形式で登録となる。なお、新形式では形式数字 1 - 2 桁の部位が無蓋コンテナのみ『個々の床面積』により決定されるが、他の各種タイプのコンテナ同様に多種多彩で複雑な形式へと発展し続けている。 ウィキメディア・コモンズには、オープントップ・コンテナに関するメディアがあります。
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