研究・考察
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旧来、「五大老」とは、淘汰された関白権力に代わり、太閤権力の下で国政を預かる国政機関を指す職制とされてきた。 だが近年、「五大老・五奉行」との呼び分けは誤用であり、「五奉行・五年寄」が正しいと指摘する論文を阿部勝則が発表した。この阿部論文中では今井林太郎や中村孝也がその著作中で家康や利長らを「奉行」としている先行研究を踏まえつつ、豊臣政権末期の公文書における「奉行」「年寄」の呼び分けが総括されている。そして、太閤権力の主従制的支配権を継承した御奉行五人に対して、年寄五人は統治権的支配権を担ったといえるのではないか、という指摘がなされている。 この阿部論文に対して、「五奉行・五年寄」の呼び分けは、三成ら秀吉側近の豊臣家吏僚が発した文書(および、その同調者が発した文書)に限られるとの堀越祐一の反論もなされて、研究はさらに深化している。 宮本義己は、秀吉は三成らの側近を政権運営の要とするため、奉行を「年寄」として名目的に重みを加えておく必要性を感じ、反対に家康以下の宿老を「御奉行」とよばせることで、勢威の減殺を図ったのではないかと指摘している。ただ一方、「五大老・五奉行」の制度は、秀吉生存時と没後では大きく変質しているとも指摘する。秀吉が企図していたのは家康と利家の専決による政権運営(「内府・大納言体制」)であり、合議制は秀吉の遺命には含まれていないとする。だが、秀吉の没後、三成らの主導で定められた十人衆起請文によって合議・多数決による政権運営(「十人衆合議体制」)が打ち出され、このとき初めて合議制が確定したとする。 一方、白峰旬は、『十六・七世紀イエズス会日本報告集』の五大老・五奉行に関する記載について論じ、十人衆は(家康も表向きは)秀吉の遺命に沿うよう心がけたと結論づけている。五大老・五奉行のスキームや権限・職務について決定し、集団指導体制を取るよう計ったのは死去直前の秀吉であったというのである。また、国家統治権について家康の権力だけを突出させることを秀吉は当初から意図していなかったとしている。 矢部健太郎によると、「五大老制度の本質は豊臣政権の根幹をなしていた武家関白制と連動して形成された「清華成」(清華家並の家格を得ること。武家清華家)であり、その成立は秀吉の天下平定以前の天正16年(1588年)まで遡るとしている。すでに清華成を果たしていた家康・秀家に加えて、この年、景勝・輝元が、のち利家・隆景が清華成を果たし、これが後の五大老制の端緒になったとして、江戸幕府成立後に徳川氏が豊臣政権において毛利・上杉ら外様大名と同格扱いされていた事実(「清華成」)を隠す史料操作が行われていた可能性があると指摘していた。
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研究・考察
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/09 06:31 UTC 版)
三中老を後代に創作されたものと具体例を挙げて指摘をしているのが宮本義己である。宮本は、直江状を偽文書ではないが、後世に大幅に改竄された可能性があるとする論文の中で、直江状に対する家康の怒りをなだめる内容(すなわち直江状を真筆と裏づける内容)の上記の奉行連署条書も疑わしいとした。三中老の3人が奉行衆の3人と連署するのが解せないと主張、奉行衆の上位に三中老の3人が位置付けられるのも穏当ではないとした。また宛所が、この頃の上杉家に対する取次であった榊原康政とされるべきところ、井伊直政というのも相応しくないと指摘している。このようなことから三中老の存在は豊臣政権の基本史料では確認できないものであり、『甫庵太閤記』などによったもので、後世の創作と主張している。 さらに高橋陽介も「豊臣家に「三中老」というものがあったかどうか、この三人が徳川家康のもとに詰問使として赴いたかどうか、一次史料によって確認することはできません。」と述べ、宮本と同様にその存在を疑問視している。 谷口克広は、小瀬甫庵には堀尾吉晴に仕えた経歴があり、『甫庵太閤記』では随所で吉晴の戦功を誇張して伝えていることを指摘している。この関ヶ原前後の記事でも、吉晴と似た経歴を持つ親正・一氏を加えて「小年寄」とすることで、旧主の権威付けを計ったものとみている。
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「研究 考察」の例文・使い方・用例・文例
- 癌の研究はかなり進んでいる
- 彼女が研究を続けていけるように援助した
- 今までのところ私の研究は順調に進んでいる
- 彼は毎日研究に没頭した
- 研究への情熱
- この研究所はテキサス大学の付属です
- 君は綿密な研究に基づいて結論を下すべきである
- 我々の研究はアフリカのエイズ問題を中心にしている
- 彼は研究に全力を注いだ
- もう1年研究を続けます
- その会議に出席するため世界中あらゆるところから研究者が集まった
- 彼女のこの研究はその分野で最高のものの1つと見なされている
- 彼は研究のための資料を豊富に持っていた
- 彼女はシェークスピアの研究に一生をささげた
- 彼女は研究に没頭している
- 彼は研究熱心である
- 彼はとても研究熱心です
- 研究熱心な科学者
- 君は研究のためにその本を買ってもいいし,借りてもいい
- その研究は人口問題のあらゆる面を扱っている
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