目玉焼き事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/17 00:53 UTC 版)
「ダグラス・マッカーサー」の記事における「目玉焼き事件」の解説
厚木飛行場に降り立ったマッカーサーは、直接東京には入らず、横浜の「ホテルニューグランド」315号室に宿泊した。翌朝、マッカーサーは朝食に卵料理をオーダーした。アメリカ式の朝食の卵料理は「目玉焼き」にしても「スクランブルエッグ」にしても、一人分で卵2個が通常単位であったが、2時間も経ってようやく食卓に出てきたのは「1つ目玉の目玉焼き」であった。ホテルには生卵のストックはなく、マッカーサーのオーダーを聞いてから慌てて横浜市内を八方手を尽くして探してようやく1個の生卵を確保したというのが真相であった。マッカーサーは「1つ目玉の目玉焼き」を見るなりすべてを察して、軍用食料の現地(日本)調達計画の断念と、これからの占領政策の最重要施策は食料の供給であることを強く認識したという。しかし、このエピソードについてはマッカーサー本人の回顧録、同席した副官のコートニー・ホイットニーや側近軍医ロジャー・O・エグバーグの著書にも記述はなく、ホテルニューグランド側でも会長の野村洋三や、この日マッカーサーを接客したホテル従業員霧生正子らの証言にも出てこないため真実味は薄い。 マッカーサー一行に最初に出された食事については、ホテルニューグランドに記録は残っておらず、正確なメニューは不明で、それが朝食であったのか昼食であったのかも実ははっきりしていない。当時のホテルニューグランド会長の野村洋三の回想によれば、マッカーサーがニューグランドに着いて最初に出されたのは「遅い昼食」であり、メニューは冷凍のスケソウダラとサバ、どっぷりと酢をかけたキュウリであった。マッカーサーは一口食べると(食べたものは不明)無言になり、後は手をつけなかった。また、野村はマッカーサーらを迎える準備として、自身が理事をしていた横浜訓盲院から卵を10個融通してもらっているが、この卵が食卓に出されたかは不明である。 マッカーサーらのニューグランドでの初めての食事のウェイトレスをした霧生正子によれば、当時、ホテルに肉は準備できなかったので、出したのはスケソウダラとポテトとスープであり、マッカーサーはスケソウダラを見るなり「これはなんだ?」と聞き、霧生が「スケソウダラです」と答えると、「こんなもの食べられるか」という顔をして手も付けず黙っていた。その後、食後のデザートに出したケーキにも手を付けず、黙って席を立っている マッカーサー本人にはこの日の記憶はなかったようで、自身の回顧録には副官ホイットニーの著書「MacArthur: his rendezvous with history」の記述を引用している。ホイットニーによれば、ホテルニューグランドでの最初の食事は「夕食のサービス」であり、メニューはビーフステーキであった。ホイットニーはマッカーサーの料理に毒が盛られていないか心配し毒見をしたいと申し出たが、マッカーサーは微笑みながら「誰も永遠には生きられないよ」と言って構わず手を付けたという。 ホイットニーがビーフステーキと思っていたのは、実は鯨肉のステーキであったとの説もある。牛肉は入手困難であったが鯨肉は日本陸海軍が相当量を保存しており、ホテル側も入手が容易であったという当時の食料事情もあった。鯨肉を食する習慣のないマッカーサーやホイットニーらアメリカ人は、出された肉が鯨のものと判断できずにビーフステーキと誤認していた可能性も指摘されている。 マッカーサーの側近軍医エグバーグ医師もその食事の席に同席していたが、メニューはスープとバター付きパンと冷凍の副食(食材は不明)だったと著書に記述している。
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