独立自尊への意志
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/06/26 07:14 UTC 版)
退学後、維廉は独学と自主独立の生活を始める。『漢書』、『史記』から『資治通鑑』、仏経典から『閲微草堂筆記』、『文心彫龍』から『詩品』、『詞綜』など偏りなく様々なジャンルの本を読む。ロシア語の勉強も始める。定期的に読書会を開き、五四運動後の進歩主義の文学書籍の交換閲読を行う。維廉は、日本軍にまだ占領されていない北平で学問をしたいと叔父に言うが、許可をもらえず、半月以上軟禁状態となる。そんな中、友人と仮名郝赫で国事についての議論を書信で交わすが、満州国の書信検閲の警察官にブラックリストに乗せられたことを受け、怒りのあまり友人の孫廣益から十五元借り、その日の夜に北平行きの西行列車に乗る。北平での生活は貧苦を極まり、わずかな手持ち金で貧相な食事をしては街頭を流浪し、泥棒にも目をつけられていた。こうした中、街中で遠い親戚に遭遇した維廉は、知行補習学校に紹介されて三年生として転入。その親戚は瀋陽の家に手紙を送り、家から定期的に生活費が送られるようになった。この頃、同じ寝室の進歩主義の学生徐邁倫の勧めより社会科学系の入門書籍を読むようになる。また、アプトン・シンクレアの『石炭王』、『屠場』、『煤酒』を読み、初めて左傾文学作品に接触する。この時の国語教師は北大の学生で、維廉に『社会意識学大綱』を貸した。維廉はこの本に非常に興味があった。このように社会科学の書籍に強い関心を抱いていたものの、まだ批判能力が培われていなかったほか、『資本論』の内容を理解できなかったことを契機に社会科学の本を読むことを中断し、魯迅、巴金、茅盾、老舎、丁玲の著作を再び読み始める。巴金の『海底夢』と『死去の太陽』、『滅亡』などの小説は彼に不思議な感動を与える。巴金の激情的でロマンティックな精神は維廉の心を強く掴む。魯迅の小説はよく理解できなかったが、その文体に強く惹かれていた。1936年冬に一二・九運動が勃発し、多くの学生が抗日運動に参加する。芸文中学校は学生の遊説を防ぐために校門を閉鎖するが、維廉を含む何人かの学生たちは壁を密かに飛び越え、一二・九運動と一二・一六運動に参加する。学生運動を目の当たりにした袁犀は深く感銘を受け、後に書く長編小説『面紗』に彼の感受したものを反映する。
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