特別な工事をした駅
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/13 12:36 UTC 版)
「東京メトロ丸ノ内線」の記事における「特別な工事をした駅」の解説
池袋駅 池袋駅は国鉄池袋駅の中央地下に島式構造のホームを建設する予定であったが、当時国鉄池袋駅の改良計画が進められており、どの様な連絡施設を整えるか構想されていなかったことから、営団地下鉄が単独で恒久的な施設を建設するのは躊躇し、取り敢えず丸ノ内線池袋駅は新大塚駅寄りに仮駅構造で設けられた。将来の本駅への改造を容易にするため、仮駅では延長77 mの板張りの相対式ホームとした。 1958年(昭和33年)10月16日、丸ノ内線池袋本駅の設置に関する営団、国鉄、東武鉄道、西武鉄道の各社間で工事計画に関する協定(池袋駅構内営団線乗入れおよび旅客連絡設備工事誓約書)が成立した。今まで跨線橋によって連絡していた地上への通路を地下コンコースに収容し、さらに東口・西口を結ぶ連絡地下通路を設けることで、大幅な利便性の向上を図ることとなった。同年11月1日に着工した。 1960年(昭和35年)11月5日・6日に池袋仮駅(相対式ホーム)から本駅(現在の島式ホーム)に切り替えを行った。地下通路の整備などを実施し、最終的に1963年(昭和38年)6月5日に池袋本駅の工事が完成した。 赤坂見附駅 赤坂見附駅は東京高速鉄道時代に丸ノ内線の建設を想定して、銀座線とは上下2層構造の同一方向ホームとして建築されていた。 しかし、戦後に改めて丸ノ内線を建設することになると、当時の規格では狭すぎるため、主に丸ノ内線側の構築を改造することとした。ホーム幅員4.85 m、ホーム延長80 mからホーム幅員8 - 11 m、ホーム延長は銀座線側96 m、丸ノ内線側120 mに改築した。丸ノ内線側の旧構築は約1年かけて取り壊し、新構築を施工した。この拡張工事にあたって、下水溝が約120 mに渡って駅構築に支障することから、下水溝の移設作業も同時施工した。 新宿駅 新宿には営団地下鉄が1944年(昭和19年)3月に4号線の路線建設と駅舎建築用地として、東京都から国鉄新宿駅の西側に約3,300 m2の用地を譲り受けていた。しかし、同用地は終戦後の混乱期に乗じて多数の商店等が建築されて、不法に土地占有が行われている状態であった。 営団地下鉄は用地の占有者と土地の明け渡しを求めて交渉していたが、話し合いが難航したことから、営団は1957年(昭和32年)6月に建物の収去と土地の明け渡しを求めて東京地方裁判所(東京地裁)に提訴した。 このうち路線が通過する場所約797 m2については、荻窪線区間の建設にも支障することから、営団は1958年(昭和33年)3月に「建物収去、土地明渡断行の仮処分命令」を東京地裁に申請し、1959年(昭和34年)1月に営団側が勝訴した。 この裁判を契機に話し合いが進み、同年3月7日には裁判上の和解が成立、1961年(昭和36年)3月末までに土地の明け渡しが行われることとなった。この影響で1959年(昭和34年)の開業時に、新宿駅は仮駅構造で開業した。開業時点でのホームは延長95 mを確保し、そのうち新宿三丁目駅寄りの40 mは仮ホームであった。その後、本駅工事が行われ、1960年(昭和35年)11月28日から本駅の使用を開始した。 この場所は新宿地下鉄ビルディング(メトロ食堂街などが入っていたビル)が建っていた場所である。この新宿地下鉄ビルディングは丸ノ内線の直上に建設することから、丸ノ内線のトンネル構築もそれに耐えうる鉄骨鉄筋コンクリート構造と深礎基礎となっている。なお、新宿地下鉄ビルディングは解体され、東京地下鉄と小田急電鉄の共同事業により、小田急百貨店新宿店本館と小田急新宿駅などを一体的に高さ260 m・48階建ての超高層ビルに建て替える計画が進められており、2022年度に着工、2029年度の完成を予定している。
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