物語の成立と変遷とは? わかりやすく解説

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物語の成立と変遷

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/08/04 22:53 UTC 版)

ロミオとジュリエット」の記事における「物語の成立と変遷」の解説

シェイクスピアの全戯曲のほとんどは、既存物語エピソード、詩などをベース翻案したのであるシェイクスピアが『ロミオとジュリエット』を書くにあたって直接種本としたのは、アーサー・ブルックの物語詩ロミウスとジュリエットの悲しい物語』(1562年イギリスと言われている。が、ブルックのこの作品文学史登場する過程は複雑である。 ロミオとジュリエット物語成立は、西欧民間伝承ギリシア古典物語端を発している。中でも特に有名なのは、古代ローマ詩人オウィディウスギリシア神話基づいて著したピュラモスとティスベ』で、シェイクスピアは『真夏の夜の夢』の中でもピュラモスとティスベ』の話題取り上げている。 ナポリにて1476年出版されたマスチオ・サレルニターノ作の小説集には、シェイクスピア作『ロミオとジュリエット』の原型思われるエピソード登場する。その作中には、修道士仲介計略失敗する過程など、シェイクスピアの『ロミオとジュリエット』に近いモチーフ含まれている。ただし物語の舞台シエーナで、恋人達の名前はマリオットとジアノッツァである。 ルイジ・ダ・ポルトが書いた物語1530年イタリア)では、舞台ヴェローナに、主人公二人の名もロメオとジュリエッタになっている物語の筋登場人物シェイクスピアの作にかなり近づいているが、ダ・ポルト版の特筆すべき相違点としては、ロメオが毒を仰いで死ぬ直前ジュリエッタ目を覚まし抱きしめ合いながら言葉を交わすシーンがある。 マッテオ・バンデルロは『小説集』(1554年イタリア)のなかで、ロミオとジュリエット物語書いている。このなかにはパリス乳母該当する人物現れており、ジュリエット仮死水薬を飲む過程も、シェイクスピア作品にかなり近い。マッテオ・バンデルロの物語は、1559年にピエール・ボエステュオーによってフランス語訳され、出版された。ボエステュオーは、物語全体修辞感傷的表現増やしジュリエット仮死から目覚める前にロミオ死んでしまうように改訂した。 ボエステュオーの訳本は、数年後には英訳された。それが、先に挙げたロミウスとジュリエットの悲しい物語』と、ウィリアム・ペインターの散文ロミオジュリエッタ』(1567年イギリス)の二つである。 ロミオとジュリエット物語は、対立する二つグループと、それに翻弄され悲しい結末へ至る恋人達という、時代文化背景越えた普遍性のあるドラマ構図含んでいる。それ故に、古代民間伝承から中世シェイクスピアに至るまでの間、何度も翻案をされ続けてきた。 シェイクスピア作の『ロミオとジュリエット』は、彼の属していた宮内大臣一座人気演目として、観客達受け入れられた。その後時代でも、欧米中心に様々な演出家、俳優達によって、多く劇場何度も上演された。時にはオペラバレエ翻案されることもあった。上記紹介した種本が、戯曲化されて上演されることもあった。現代において映画など分野でも、題材として取り上げられている。

※この「物語の成立と変遷」の解説は、「ロミオとジュリエット」の解説の一部です。
「物語の成立と変遷」を含む「ロミオとジュリエット」の記事については、「ロミオとジュリエット」の概要を参照ください。

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