物語の暗喩
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/07/03 01:34 UTC 版)
狼に襲われる恐れがありながら暗くなるまで放牧していたときに生まれたばかりの子馬を見つけたのは無産階級のスーホが小さな希望を見つけ、暗い草原は暗い社会、子馬が狼に襲われないように抱えて帰ったのは希望の光を悪人に奪われなかったこと意味して狼は悪人のこと、馬は成長して競走大会に出場できるようになったのは無産階級のスーホの小さいながらも夢が叶うようになったことになる。 奪った者が白い馬に跨るも振り落されたのは白馬は清らかさの象徴で建国当初の中国では無産階級も清らかで善だと賞賛され、殿様のような支配者や牧場主は醜い悪とされたゆえの場面で、無産階級が手に入れた希望の光が支配者に殺されてしまうが、スーホの夢の中に現れた白い馬が馬頭琴の作り方を教え、彼の作った馬頭琴が草原に響き渡る新たな夢と希望が生まれた。 その地域最大の権力者である者が王宮以外で競走大会を開くとは考え難いが、かつての中国では支配者や富裕層だけでなく上級僧侶も糾弾されていたため、『馬頭琴』でラマ廟で大会が開かれたのは僧侶も搾取階級だとする意味があり、実際にラマ廟では住民の寄進で大家畜群所有者となり、搾取ともいえた。ただそれによって零細牧民を潤していた。 塞野はこれらの見方をするミンガド・ボラグを概ね肯定し、マクシム・ゴーリキーの『海燕の歌』で嵐の直前に雷と雲がありながらも誇らしく飛ぶ海燕の様からプロレタリア革命が起こることを予言していたといわれるようにロシア文学の影響があったのである。
※この「物語の暗喩」の解説は、「スーホの白い馬」の解説の一部です。
「物語の暗喩」を含む「スーホの白い馬」の記事については、「スーホの白い馬」の概要を参照ください。
- 物語の暗喩のページへのリンク